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「福島の原発事故をめぐって」-いくつか学び考えたこと 山本義隆 著 読書ノート

高度成長期、産業・企業そして産学協同で、その成長を登りつめるころ、人間の思想哲学が置き忘れているのでないかと、東大理学部で素粒子を研究していた一大学院生が、1968年、世に警鐘をならすべく、リーダーになってしまった元東大全共闘議長の、現代の科学技術最先端・原子力科学技術が陥ってしまった事への、沈黙を破っての、時代情況を踏まえての警告!の書。
原子力平和利用の欺瞞
「・・・米国は米英ソによる核独占を維持しつつ、その後の核開発競争に対処するためには、むしろある程度の技術は公開し、原子力発電を民生用に解放することで、専門的な核技術の維持とその不断の更新、そして核技術者の養成を民間のメーカーと電力会社に担わせるのが得策という判断に切り替えた。それとともに、原子力発電プラントとその燃料用濃縮ウランを外国にも売りつけることで、新しく形成された米国核産業にとってのグローバルな市場を開拓するという米国政府と米国金融資本の狙いもあった。それが1953年末に米国大統領アイゼンハワーが国連総会で提案した・・『原子力の平和利用』の真意であった。」
日本における原発開発の深層底流
「1954年日本で初めて原子力予算を提出し、翌年に原子力基本法を成立させた中曽根康弘をはじめとする国家主義的な政治家たちは、産業政策の観点からでは原子力(核力のエネルギー)を将来的なエネルギー政策の一環として位置づけていたかもしれないにせよ、それ以上に、パワー・ポリティックスの観点から核をめぐる戦後国際政治の情況を敏感に感じとっていたのであろう。彼らを捉えていたのは、さしあたり核の技術を産業規模で習得し、核武装という将来的選択肢も可能にしておくという大国化の夢であった。それゆえ、日本におけるその後の原子力発電は、私企業としての電力会社の自発的な選択としてではなく、政権党の有力政治家とエリート官僚の強いイニシアティブで進められていった。」 1958年岸総理は・・「原子力発電(原子炉建設)の真の狙いは、エネルギー需要に対処するというよりは、・・その気になれば核兵器を作り出しうるという意味で核兵器の潜在的保有国に日本をすることに置かれていた。」 学者サイドの反応 「マンハッタン計画(ヒロシマへの核爆弾製造計画)の公式報告書が・・岩波書店から出版されたその書の帯には『スマイル報告の完訳!原子力開発という人間の偉業は、いかにして発芽し、いかにして育成され いかにして完成されたか?・・・これこそ科学技術の精華を後世に伝える不滅の記録である』と書かれてる・・・それが大量破壊兵器の製造だということは二の次の問題であった。科学者が戦争に動員されことへの反省も、まして戦争がアジアへの侵略であったことへの反省もきわめて希薄であった。」
「潜在的核兵器保有国の状態を維持し続け、将来的な核兵器保有の可能性を開けておくことが、つまるところ戦後の日本の支配層に連綿と引きつがれた原子力産業育成の究極の目的であり、原子力発電推進の深層底流であった。・・・原子力発電の推進、核燃料サイクルの開発が、このように『産業政策の枠を超え』。『外交、安全保障政策』の問題として位置づけられているのであれば、経済的収益性はもとより技術的安全性さえもが、二の次三の次の問題となってしまうであろう。」
原子力発電の未熟  「科学技術とは科学理論の生産実践への適用であるが、・・・理論から大規模な生産までの距離はきわめて大きい。・・・いずれにせよ有害物質を完全に回収し無害化しうる技術がともなってはじめて、その技術が完成されたことになる。」
科学技術幻想の肥大化とその行く末  
「・・・機械論的で数学的な世界像に置き換えることで、説明能力においてきわめて優れた自然理論を作り出した。そして同時に近代科学は、おのれの力を過信するとともに、自然に対する畏怖の念を忘れ去っていったのである。」 1985年にヴェルヌは『動く人工島 』で書く・・『・・そして風も波も自由にできない人間には、創造主の権利を横取りすることは禁じられているのではあるまいか?』 「科学技術には『人間に許された限界』があることの初めての指摘であった。」 国策として進められる巨大科学技術というものは「・・動員された学者や技術者はその目標の実現という大前提にたいしては疑問を提起することは許されず、ただその枠内で、目前に与えられた課題の達成にむけて自己の能力を最大限に発揮することが求められた。」
「原子力発電は《技術的な怪物》になってきており、誰が制御しようともその正体をあかすことはできないのです。・・・こうして怪物と化した組織の中で、技術者や科学者は主体性を喪失してゆく。」    「・・市場原理にゆだねたならばその収益性からもリスクの大きさからも忌避されであろう原子力発電にたいする異常なまでの国家の介入と電力会社に対する手厚すぎる保護は、弱者保護の対極にあり、きわめて由々しき結果をもたらしている。実際、それでなくとも強力な中央官庁と巨大な地域独占企業の二人三脚による、その危険性からも政治的観点からももともと問題が多く国民的合意も形成されていない原子力開発への突進は、ほとんど暴走状態をもたらしている。税金をもちいた多額の交付金によって地方議会を切り崩し、地方自治体を財政的に原発に反対できない状態に追いやり、優遇されている電力会社は、他の企業では考えられないような潤沢な宣伝費用を投入することで大マスコミを抱き込み、頻繁に生じている小規模な事故や不具合の発覚を隠蔽して安全宣伝を繰り返し、寄付講座という形でのボス教授の支配の続く大学研究室をまるごと買収し、こうして、地元やマスコミや学会から批判者を排除し翼賛体制を作り上げていったやり方は、原発ファッシス゜ムともいうべき様相を呈している。・・・かくして政・官・財一体となった《怪物的》 権力がなんの掣肘もうけることなく推進させた原子力開発は、そのあげくに福島の惨状を生み出したのであった。」
「・・大きな原発事故の終息には、人間の一世代の活動期間を超える時間を要する。そしてその跡地は何世代にもわたって人間の立ち入りを拒む。このような事故のリスクは個人はもとより企業でさえ負えるものではない。そのうえ、廃棄物が数万年にわたって管理を要するということは、どう考えても人間の処理能力を超えている。・・・私たちは古来、人間が有していた自然に対する畏れの感覚をもう一度とりもどすべきであろう。自然にはまず起こることのない核分裂の連鎖反応を人為的に出現させ、自然にほとんど存在しなかったプルトニウムのような猛毒物質を人間の手で作り出すようなことは、本来、人間のキャパシティーを超えることであり許されるべきではないことを、思い知るべきであろう。」
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【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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プロフィール

高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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