大胆な、現代の思想文化情況を踏まえての、文化芸術の『伝統』論なのでしょうか?
加藤周一のように大インテリであり、しかもセゾングループを率いていた泥臭い人間関係の実績もある。
以下 抜粋 まとめ。
「『伝統の創造力』を書いている際の私の問題意識は、国粋主義を否定しきった上で、どうしたら漂流を続ける国にとっての精神の拠り処としての固有の文化芸術を、現代という容器のなかに取り戻すことが可能かということであった。」
「わが国の文化芸術のいろいろの分野を通じて、老化というか無気力というか、未来への方向喪失といった状態が蔓延しているのである。とすれば、それこそ文学あるいは文化芸術が人々の感性に訴える必要がある時代なのだ、というふうに考えるべきではないのか」
・文学の衰弱の背景、『伝統』の本質
「わが国の文学に対する ゛共通感覚゛ が内在している・・・そこに共通しているのは、文学が現実と遊離しているとしう意識、文学が大衆的でないことによって時代の精神を表現した作品を創作しえないでいるという孤立感、そして明治以後、文学はついに血肉化された思想を持たずに来てしまったという失望であるように思われる」 残念な話として「秀れた文学作品を発表している作家、詩人が、社会政治などについて論じると驚くほど床屋政談的になったり高校の教科書風になったりするという現象が今も続いている・・・」 「短歌、現代詩、小説の分野で、かつての輝かしき才能は消え、ただ宗匠風な言説・態度ばかりが目立つ『大家』がいかに多いことか。・・・折口信夫ふうに分析すればその原因は二つある。ひとつは歴史の総体としての変化の中に文学を置いて見る視点を持てないこと、さらに宗匠ぶることで、あるいは宗匠になったことで思想を失ったからである。伝統とは三好行雄の指摘するように、『たえざる生成と変容の繰り返しとしての持続においてのみ真に伝統でありうるもの』であることを理解しない。伝統への働きかけ、あるいは破壊しようとする試みのなかでこそ伝統は生命力を獲得するものなのである、という法則から目を逸らす。宗匠たちは伝統を口にしていても、伝統と取り組むという姿勢は持っていないように思われる。彼らにとって『伝統』は自らの権威の小道具に過ぎないのだ。そこでは伝統は形骸化し、文学の行為としての批評は姿を消す。」
・日本文化近代化・現在の情況
「・・・私たちの前に示されたアメリカン・デモクラシーを精神的支柱としたドリームも、社会主義的平等の理想も、その実体が明らかになるにつれて色褪せていった。その認識の変化を促進したのは皮肉にもわが国の経済の高度成長であった。・・・その過程で村落共同体から職場共同体へ、そして企業共同体へと姿を変えた日本的共同体も崩壊し、家族も仮の枠組みでしかなくなった。明るく豊かで平和な社会とは何だったのか、それは所得倍増によって実現されるはずであったけれども、現れたのは消費社会と呼ばれる、浪費と猥雑な規範の無い゛自由゛ 社会であった。」 「消費者の為の論理が、いつどこで企業の為の論理、経済発展のための論理に変質したのか。・・・実はグローバリゼーションの掛声のもとに均一化へ向かって直進しているのではないか。・・・日常生活の近代化、合理化そして多様化に有用であったはずの流通、小売、都市化推進などの企業の役割が、いつ頃からか消費を強制する装置に転化したように見える・・・」(そして堤清二〈辻井喬〉はセゾンを退く) 「わが国の場合、皇国神話が崩壊して生まれた空白状態にアメリカ文化は容易に浸透することができた。」 「1945年の敗戦は明治維新に際して応急措置として採用された和魂洋才という思想、絶対王政というシステム、富国強兵という政策といった三点セットを根本的に組み替える好機であった。しかし、無条件降伏を事実を歪めて陛下のご英断による終戦と言い繕った官僚的配慮は、一見日本人の自尊心を温存する配慮のように見えて、実は思想的堕落への道を開いたのである。その結果、和魂は否定され、強兵は失われ富国のみ残り、絶対王政は象徴という術語で包みこまれて韜晦されただけで新しい価値はどこからも提供されることなく、そのことによって本質的に国家はあたらしい価値を創造すね力を失ったのであった。敗戦後の空白の思想情況のなかにあって、民主主義もマルクス主義も圧倒的多数の人々にとっては外来思想に過ぎなかった。それも、人々が必要に迫られて輸入した外来思想ではなかった。当時、必要性が痛感されていたのは゛平等゛であった。したがって民主主義もマルクス主義も゛平等゛の関連においてのみ受容されたように思われる。しかもその際、破壊するにせよ、再構築するにせよ思想的営為の基礎となるべき《伝統》は関心の領域外であった。むしろ排除されるべきものと考えられていた。『伝統というものは、実はそれなくしては、新たな思想の受容そのものが不可能な思考の基盤をなすものであり、また逆に言えば、新たに取り込まれた思想は、むしろ、伝統そのものを新たに解釈する観念や言語を提供するに過ぎないという言い方も可能である』(坂本多加雄)したがってその意味でも民主主義はわが国の社会に正しく成長すべき根をはることができず、その行き詰まりが実感されるようになって持ち出される伝統概念は多くの場合『昔は良かった』という卑俗な情緒にのみ裏打ちされた床屋政談の域をでないものであった。」 「わが国のように、敗北によって従来の文化芸術が゛暴力的に否定され゛ その空白に物質文明が一気に浸透するという過程を持った場合、歴史意識の希薄化は極限に達するのではないだろうか。」
・日常世界・思想の中での芸術の役割
「浅薄な認識を破って社会の隠れた姿を血の通った人物の造形を通じて描き出すこと、あるいは豊かな社会に埋没してしまったかに見える人間の美しさを、ごく些細な事柄を通じてでも読者が発見できるような作品を創り出すことは芸術家に与えられている役割なのではないか。」
「私には産業社会が・・・衰退という表現が不適切なら根本的な変質を迫られている時期にさしかかった、・・・」 「それは文化・芸術が拠って立つ日常世界の姿が見えにくくなり、消費社会の成立とともに揺らいでいるというととも関連があるだろう。しかし何と言っても、わが国の文化・芸術が伝統と切り離されていること、そのために社会の構造変化と、それによって生じる新しい矛盾を映し出す創造力が失われていることが大きく影響しているように思われる。文学作品も感覚の変化を表現し得ても、それを生き方の問題、思想の問題として提示することができない。・・・新しい伝統観の構築の上に、創造力復活へ向けての態勢を整えることが、21世紀初頭に生きている私たちがなすべき仕事なのではないかと思われる。」
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