「宮本常一が見た日本」 佐野眞一 著 読書ノート
佐野眞一のめがねを通しての宮本常一の世界ということ。いや佐野眞一の生き方の本か?
「宮本常一は、ふつう、民俗学者として紹介される。民俗学とは、一言でいえば、日本人のふだんの暮らしはどうやって生まれてきたのかを、考察する学問である。宮本はこの問いを胸に、輝くような笑顔と天下一品の聞きとり技術、そして親しみやすい物腰で日本じゅうを歩いた。」
「旅する巨人を生んだ島 旅の原点―周防大島 」「近代化によって忘れられた土地と庶民のなかに、否定的な要素ではなく、あえて肯定的な要素を見出し、そこに生きる人々を明るく励まして歩くことを最重視した『宮本学』…」 「民俗学とは、すぐれた庶民の叡智を発掘する仕事でもある。後年、宮本が文字をもたない民衆のなかに入り、口承のなかに庶民の結晶のような言葉を求めていった…」 「宮本は中世社会の残存ともいうべきこの村落共同体の寄り合いを、かなり意識的に書きとめている。そこには、アメリカ直輸入の戦後民主主義をひたすら謳歌し、日本的共同体の伝統を封建遺制として全て否定しようとした当時の風潮に対する、宮本なりの静かな批判がこめられていた。」
「稲作と山人にこだわった柳田國男に対し、宮本は芋と海人に自分の学問的基礎を置いた。」
「田中角栄は…まさに『コンピューターつきブルドーザー』の馬力で日本全土を乱開発していった。それは辺境の村や島に棲む土地の精霊たちを根絶する一種の『革命的』な、ふるまいであった。田中角栄とは、息が詰まるほどのコンプレックスで自分を呪縛し、日本の村々を支配してきた古い呪術的神々を皆殺しすることに生涯をかけた政治家だったともいえる。昭和40年代からの宮本の旅は、民俗調査の旅でも、農業指導の旅でもなく、祖霊を失った人々を癒して歩く求道者めいた旅になる。」 佐野眞一の毒舌「日本の戦後をドグマによって長らくおおっていたアカデミズムの独善性が、動かしようのない事実の重みの前にほとんど解体され、『大文字』的なものいいで大衆の蒙を啓くことに血道をあげてきたジャーナリズムの賢しらさがいまやほとんど失笑の対象にしかならなくなってしまった現在、宮本常一評価の風か吹き始めてきた…」 「…宮本はイデオロギーに足元をすくわれることなく、生涯『小文字』で語りつづけた。…人々の魂の奥底を揺さぶることで、世直しを静かに扇動し、われわれが忘れてしまったおびただしい事実を報告することで『済民』の工作をはかった。」 「東北地方に代表される日本の村落共同体の暗さが、日本の後進性の温床となり、軍部はそれを利用する形で日本をとりかえしのつかないところまで追い込んでいった、と主張してきた『進歩的』文化人たちから見れば、近代化によって忘れられた土地と人々のなかに、否定的要素ではなく、あえて肯定的要素を見出し、そこに暮らす人々を明るく励まそうとした宮本はある意味でいえば典型的な保守主義者だった。しかし、宮本は伝統社会につきまとう迷妄性は承知の上で、なおそこに生きる人々の心を信じようとした。」 「豊かさとひきかえに失ったものの大きさにただ茫然としてはいないだろうか。いま日本人の誰もが、この先に何があるかまったくわからない不透明感にとらわれている。そして名状しがたい不安と息苦しさを感じながら、生の充実とかけはなれてた毎日をどうにかやりすごしている。…私には宮本の精神がその歳月を得てますます輝きをましているように思えてならない。」「日本人っていうのは、それほどだらしない民俗ではなかったはずなんです。自立した精神が、『俺たちの島は俺たちで何とかするんだ』という気持ちがあったはずなんです。それが公共投資漬け、あるいは国家の予算のぶん取りという、僕に言わせればさもしい精神に成り果ててしまった。それをもう一度、健全なるものを取り戻す縁にするには、宮本常一という人のあり方は非常に大きなヒントを与えてくれると思います。」 24/09/28
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