「真珠湾攻撃総隊長の回想・淵田美津雄自叙伝」 中田整一 編・解説 読書ノート
☆加藤陽子さんの本『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』にめちゃくちゃ面白いと薦めてした本なので、読みました。
裏表紙より「海軍機動部隊の精鋭360機を率いハワイ奇襲作戦を陣頭指揮し、ミッドウェイ開戦で重傷を負い、原爆投下直後の広島で被害調査に従事し、厚木基地にマッカーサーを迎え、ミズリー号での降伏調印式に立ち会った淵田美津雄は、戦後キリスト教に回心し仇敵アメリカへ伝道の旅に出る。激動の時代を生き抜いた男の真実とは。」
精神論をふりかざさない、人間としてでなく、軍人として理性的に優秀な軍人人生を送ったのでしょうか?総隊長であった真珠湾攻撃も、いかに有効に攻撃できうるかと熟考し、ひと月以上前から隊員たちに訓練を重ねていた。成功するにはそれなりのことをしてるんですね。その奇襲で3000人の米国人が亡くなったというのも、戦後キリスト教に回心するきっかけになった一因なのかしら。
その真珠湾攻撃で、別働隊で「特殊潜航艇」というのがあり、(戦争の始めから、特攻隊かよ)その「特殊潜航艇」はなんら戦果をあげられず散っていったのだが、その別働隊の参謀が、軍艦アリゾナ撃沈の戦果を譲れとなり、その散っていった兵士を『軍神』にまつりあげ、そして国葬にしたということです。
連合艦隊の長官山本五十六は空気に流され、理詰めに考えず、凡将のところがあったと言う。考えを広げ、戦争に突っ込んで行ったのが、空気に流され、理が無くなっていたことまでいわなきゃー。と思いますが。
戦争初期の米国の東京への奇襲「ドーリットル空襲」で中国で捕虜になった米国人ディシェイザーによりキリスト教に改宗した。 昭和天皇が、三島由紀夫の言う『なんで すめろぎ は人間(ヒト)となりたまひし』(人間宣言に対して)と、絶対者でなくなり、軍人としての「戦陣訓」も「軍人勅諭」も意味を無くし、他の絶対者を彼は求め、そこでキリスト教に出会ったのでしょう。
本文より抜粋 まじめな帝国軍人であったこと「私は25年間、皇軍将校という自覚に立っていた。皇軍とは、天皇の軍隊という、ことである。その将校であった私の働きが悪かったがために、いま陛下に、このような悲痛な放送を、おさせ申す羽目となった。まことに恐懼(キョウク)に堪えない次第であった。」 戦犯裁判について「日本のマスコミは、占領軍の威力に押されて、報道の自由も、取材の自由もあったものか、無批判に占領軍に尾を振って、そのデマ放送を流した。」ソウデスネ!
編者の解説より「『真珠湾の英雄』をキリスト教伝道へ利用することへの批判は、終始ついてまわった。…彼は動じることなく『真珠湾の英雄』を堂々と伝道の武器にした。…終戦からわずか8年、かつての好敵手(ニミッツ元帥、スプルアンス大将など)たちとにこやかに対面する場面を読むと、憎悪にかられ日米両国民に何百万という死傷者を数えたあの戦争とは、いったい何だったのだろうかと考えさせられる。」― そうですね。高田記 24/10/28
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