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「氷川清話」 勝海舟著 松浦玲など編  読書ノート

◎勝海舟が東京赤坂の氷川に隠居してから、明治20~31年亡くなるまでの談話集。明治新政府への時代を見据えての御意見番?文明批判、自慢話、維新の回顧談等
・佐久間象山(明治・近代化への時代への先駆けの洋学者といえる)は、海舟より12歳年長で、学問的にも先輩だが、海舟の妹を嫁にしたので、義弟になる。海舟の名は象山の書いた額より採った。勝安房守は明治になり、勝安芳と改名、しゃれっ気でアホウとも読めるように。しかし象山をそれほど評価してないようだ。
・「…私は段々世の中が乱れかけてくるのを見るにつけ、どうしても人物を養成するのが目下の急務であるぞと覚ったから、…すでに門閥階級・その弊害を打破してやろうと思ったが、幾百年の慣習は、全く親譲りの格式に甘んじて、上(カミ)を笠にきるという有様だから、一朝一夕には断行されるものではなかった…」
「三百年来の根底があるからといったところが、時勢が許さなかったらどうなるものか。かつまた都府というものは、天下の共用物であって、決して一個の私有物ではない。…しかし…なんでも時勢を洞察して、機先を制することも必要だが、それよりも、人は精神が第一だよ。」「広い天下におれに賛成するものは一人もいなかったけれども― 山岡鉄舟や大久保一翁には、後から少し分かったやうであったが― おれには常に世の中には道というものがあると思って、楽しんで居た。…今の世に西郷南洲が生きていたら、話し相手もあるのに…(明治30年)」
「西郷という奴は、・少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く、・西郷に及ぶことの出来ないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。…ただこの西郷の至誠は、おれをして相欺(アイアザム)くに忍びざらしめた。」 松浦の注「海舟は、幕府の腐敗しきった内情を暴露し、雄藩の手で政治を一新しなければだめだと説いた。」とある。
「荻生徂徠でも新井白石でも、彼らが若い時分にはみな、田舎で大根のしっぽやサツマイモの蔓をかじって成長したじゃないか。その逆境時代に、苦心して思わず知らず練り上げた精力が、徂徠でも白石でも結局彼らの一代の事業を成功せしめた血液となったわけであるのだ。」「政治家の秘訣は、・ただ誠心誠意の四文字しかないよ。道に依って起ち、道に依って坐すれば、草莽の野民でも、これに服従しないものはないはずだよ。」

天災の難民の救済について― …「徳川時代にはチャント手がそろっているから、イザというこの様な場合になると、すぐにお代官が被災地に駆けつけて、村々の役人を集め、村番を使って手宛をするのだ。」明治29年の津波の時の談話。徳川の時代のほうが行き届いていたと強調している。足尾銅山の鉱毒事件についても、「旧幕は野蛮で今日は文明だそうだ…海に小便したとは違うがね」とイヤミを言ってます。

経済はおれの得意だ―「瑞穂の国ともいって、これほど沢山コメの出来る国に生まれながら、外国米を食ふなどとは以ての外の事だ。…既に田地を持つ以上はまさかの場合には大勢の小作人にだって、ただの五升づつでも施してやらなければならないからの。」☆そういう江戸の風習が続いていたら、秩父事件も大正の米騒動も起きなかったのです。
大奥の倹約に成功― 西郷曰く『勝サンは、大奥をうまくおやんなすったが、私は弱りましたよ』薩摩の改革の時に、老女(大奥)にヲイヲイ泣きつかれてよわったよ」
「北条氏の栄えたのは、つまり倹のためで、その亡びたのは、奢(オゴ)りのためだよ」☆貞永式目 「外交の極意は誠心誠意」
「政治は…下手な政論を聞くよりも、無学文盲の徒を相手に話すほうが大いにましだ。文盲な徒の話は、純粋無垢で、しかもその中の人世の一大道理がこもって居るよ。おれも維新前には、…新門の辰などは、ずいぶん物の分かった男で、金や威光にはびくともせず、ただ意気づくで交際する…。官軍が江戸城に押し寄せて来た頃には、・ならず者の糾合に取り掛かった。・骨が折れるとはいふものの、なかなか面白かったよ。貴様らの顔を見こんで頼むことがある。しかし貴様らは、金の力やお上の威光で動く人ではないから、この勝が自分でわざわざやって来たと一言いふと、へー分かりました。この顔が御入用なら、いつでも御用たてますという風で…」

朝鮮は昔お師匠様― 「しかし朝鮮を馬鹿にするのも、ただ近来のことだよ。・特に土木事業などは、尽く朝鮮に教わったのだ。」
「日清戦争はおれは大反対だったよ。なぜかって、兄弟喧嘩だもの…つまり欧米人が分からないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。一体支那は五億の民衆は日本にとっては最大の顧客さ。また支那は昔時から日本の師ではないか。それで東洋の事は東洋だけでやるに限るよ。」☆大東亜共栄圏につながりかねないなぁー?
「実に驚いたことに、城(江戸)受け渡しに関するいろいろの式が始まると、西郷先生居眠りを始めた。…虚心坦懐、徐(オモムロ)に人事を尽くして天命を待つのみ…」
「…精神の修養ということが何よりも大切だ。いわゆる心を明鏡止水のごとく研ぎ澄ましておきさえすれば、いついかなる事変が襲ってきても、それに処する方法は、自然と胸に浮んで来る。」
西南の役の時に西郷に説諭と言われ、「岩倉公は『お前の大決断というのは、大方、大久保と木戸とを免職しろということであろう』と言われたから、『いかにも左様…』」ポシャル。

武士道は廃れて当然―「…自分らはお上から禄を貰って、朝から晩まで遊んで居ても、決して喰うことに困るなどという心配はないのだ。それゆえに厭でも応でも是非に書物でも読んで、忠義とか廉恥とか騒がなければ仕方なかったのだ。・武士の常禄というものがなくなれば、したがって武士気質も段々衰えるのも当りまえのことさ…」
徳川慶喜公の参内― 「…おれもかねて望むところだによって内々奔走した。…おれも生きて居た甲斐があったと思って、覚えず嬉し涙がこぼれたよ。…おれの役目も、もうこれで終わったのだから、明日よりの事は、若い人に頼むよ。」松浦玲の注―明治31年3月2日に、元将軍の慶喜は、かつての自分の居城であった皇居に出向いて明治天皇に会う。戊辰戦争で朝敵となってから30年目のことであった。

西郷の力と大久保の功― 「この東京が何事もなく、百万の市民が殺されずに済んだのは実に西郷の力で、その後を引き受けて、この通り繁昌する基を開いたのは、実に大久保の功だ。…徳川の城さへ明け渡せば、後はみな官軍の方で適宜にしまつするだろうと思って、初めは黙って見ていた。」ところが西郷さんが『府下の事は何もかも勝さんが御承知だから、宜しくお願い申す』と言って・行ってしまった。大久保利通にも懇ろに頼まれた。「…なにしろ150万という多数の人民が食うだけの仕事というものは容易に得られない。この事情を詳しく大久保に相談したら、さすが大久保だ。それでは断然遷都の事に決せうと、かう言った。すなわちこれが東京今日の繁昌のもとだ。」 最後に「…要するに、処世の秘訣は誠の一字だ。」
松浦玲の解題より― 「その海舟が、明治を30年もすごしたところで、ひょっとするとこの明治よりも徳川時代の方が民衆は幸福だったかもしれないと言いはじめた。この『政治今昔談』は、・今の政治への批判なのだ。」 ☆「江戸リサイクル事情」石川英輔著 法政大学総長の田中優子の『江戸学』お2人とも、江戸がよかったなぁーって言ってます。
☆ほんとの「今の政治」への批判だということでしょう。戦後70年の今よりも、明治大正時代の方いや江戸時代のほうがもっとひょっとして、良かったのじゃないかな?知性の劣化、虚脱感…?
 
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【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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プロフィール

高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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