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「それからの海舟」 半藤一利著 読書ノート

◎ 週刊文春、文芸春秋の編集長などの経歴で、それなりの思想的立ち位置の著者
江戸城無血開城からその後の勝海舟のひいき目の伝記というところか。「」抜粋

「祖父から幼いときに、『高位高官だの将軍や提督だのになって威張っておるが、薩長なんてのは泥棒そのものだて、7万5千石の長岡藩に無理やり喧嘩をしかけて、5万石を奪い取ってしもうた。尊皇だなんて、泥棒の一部の理みたいなものなんよ』とさんざん耳にふきこまれて成人した」著者・半藤さんは、薩長嫌いの、海舟好き。「勝っつあん」と呼ぶ。
永井荷風《断腸亭日乗》より『明治以後日本人の悪くなりし原因は、権謀に富みし薩長人の天下を取りし為なること、今更のように痛歎せらるるなり』
「ボロ船を見事に港へたどりつかせてみせるぞ、という壮んなる気概である。…勝にはリアリズムに徹しぬいていた。」「…勝っつぁんの曲者たるゆえんで、くどくど言わず…」「江戸っ子勝っつあんならではの啖呵といえようか…」-江戸っ子の勝っつあんの記述
「それにしても、慶喜の登用が、勝を心底から信頼してのものではなく、薩摩や長州との深い縁につながる政治力を利用しようとの魂胆によるものであることが、十二分にわかる。海舟はほんとにやり難かったことであろう。」

「父親の勝小吉ゆずりで下情けに通じ、どんな身分の人とでも心を割ってつきあえた。…四面楚歌、幕府軍からも西軍(官軍)からも狙われ、暗殺の危機はしょっちゅう、が、屁とも思わなかった。江戸町民が骨の髄から戦いを望んでいないことを、勝は散歩をとおして身にしみて知っていたからである。…維新の大乱に遭遇して旧套旧陋を墨守するだけで、よき知恵も臨機の処置もなく、幕府の高官たちが狼狽している間に、海舟ひとりが颯爽と変に処しえたのは、用もなく町を歩きながら、江戸の裏店の連中の心理を読み取り、世の動向をみわけられたから、ということがわかる」

『事が破れたときの用意をしておかぬことには、最後の談判にも腹に力が入らない。』…
「江戸の鳶職、やくざ、芸者、香具師、など総動員である…新門の辰五郎たちの府下の博徒の親分三十余人、江戸いろは組の火消しはもとより、日本橋の魚市場、神田の青物市場の勇み肌の兄ぃたち、血の気の多い連中すべてに話をつけた。」西郷会談決裂で、西軍が強いて江戸市中に進撃した場合の対処の話をつけた。いざとなれば、江戸を火の海にし、江戸市民を船で逃がす。慶喜をイギリス船に亡命?させる。などなどの用意。
会談後の西郷が京に朝廷の決裁?もらう間の14日間の間に、「機をつかむに敏の海舟」は、横浜のイギリス公使パークスに「虎穴に入らずんば」と、会いに行く。「パークス大いに感動す」それは『ただ私の願うところは無辜を殺さず、外邦の手を借りず、天下の公道に処し、公儀のある所に安んぜんと欲するにすぎざるなり』という信念を吐露したものと見る」『…密事を談じ、此艦(イギリスの)をして一か月滞船なさしむるを約す』パークスに。万策尽きて戦になった時の援助の密議だったよう。「勝の裏の至芸というべきか」☆薩摩と英国、幕府と仏国 という図式になっていたが。

「万国公法について」(国際法)- 西郷・勝会談の前に、「…さらにパークスは言い放った。『ことに前将軍は降伏の意思を明らかにしているという。何のための進軍であるのか。降参した敵を攻撃するとは何事か。・そのような無法が行われるならば、われわれは官軍の暴挙に備え、居留民保護のため軍隊を用意するほかない』・英国公使の言葉に愕然となった西郷は、国際社会のなかの日本をはじめて意識することになる」☆異説によれば、西郷は英国公使の言葉で、江戸総攻撃を止めたとか。まあ影響はしてるでしょう。
徳川の家臣、静岡へ移住、その数1万4千人近く、多くは無禄移住、これを食わせるのは大変である。辣腕の総務部長のように海舟は金策に東奔西走する。静岡茶の開墾・大栽培は移住者たちの努力による。「…日本国の未来のために、幕府を潰したものの、その後をすっきりとしたものにしないかぎり、自分の仕事は終わらぬという強烈な使命感が、勝を駆り立てていたことに間違いない。」

「大久保利通たちがどんなに甘言をもって説得しようが、…それに政府のお手並み拝見という気分も濃厚であるから、そんな大役は重過ぎるというものでんす、とてものこと出仕できません、と突っぱねつづけたのである。……何か福沢諭吉の説を鵜呑みにして、海舟が尻尾を振って早速に新政府に出仕したかのように思ってる人が案外に世に多い。」

明治4年1月、やはり西郷隆盛に上京してもらい、その威光でもって7月廃藩置県断行。海舟も水面下で工作して協力していた。西郷の言、維新後、俗吏がはびこっている「『草創の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服をかざり、美妾を抱え、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられまじく也』と言い切り、こう論断する。『今となりては、戊辰の義戦も、ひとえに私の営みになり行き、天下に対し、戦死者にたいして、面目なきぞと、しきりに涙を催されける。』やがて重職を蹴って鹿児島に帰った西郷にとっては、どうやり維新とはいまなお未完で、さらなる革命をつづけなければならないもののようであった。…西南戦争は、大久保を頂点とする官僚的行政体制に対する西郷の最後の『文化革命』という形をとった。」

征韓論と西郷・複雑な権力闘争― 「勝っつぁんが後年、その日は西郷を見限って『逃げた』と述懐するのは、勝一流の露悪趣味であり、江戸っ子的な韜晦と、見たほうがよろしいように思われる。」
「大久保型の官僚政治は、形式ばって民衆との間になるべく関門をおおくこしらえて、上と下との距離を大きくし、権威を絶大にしておこうとする。つまり何重もの間接性が安定を生み、国家の持続性を強化する唯一の方法と考える。(☆今の官僚政治を彷彿とさせます)そこには天才や有能な人や人格者は要らないのである。一言でいえば、ざっくばらんな海舟のような、組織をはみ出して理念を通すような存在は邪魔になるだけなのである。」「明治8年11/28日、海舟は正式に元老院議官を免官となる。海軍大輔1年5ヵ月、参議・海軍卿1年6ヵ月、元老院議官7か月、計3年半で、天皇政府とはおさらばで、以後は浪人である。・藩閥政府は安住の地ではなかった。」

西南戦争― 「『旧幕臣たちが薩摩軍に呼応合流して決起するのを防がんとえらく苦労したよ…俺自身が、大久保の一派にきっちりマークされている。といって、傍観したままここで旧幕臣が暴発しては、これまで徳川党のための苦心が水の泡となる…』いろいろと裏工作に精出している。」明治10年9月西南戦争終結 西郷死す 翌年大久保利通 暗殺される
「大袈裟にいえば、西郷その人があって勝の幕末・維新後の存在理由があり、かがやかしい新日本への貢献もありえたといえる。勝はそのことを十二分に心得ていた。・西郷を死に追いやった大久保への憎悪には、根深いものがあったのであろう。」
『明治10年晩秋』に海舟は『亡友帖』を作る、佐久間象山、吉田松陰、島津斉彬、山内容堂、木戸孝允、小松帯刀、横井小楠、西郷隆盛、広沢真臣、八田知紀の十人。「おそらくは、西郷の死とともに、そして『亡友帖』をこしらえることで、海舟は歴史における自分の仕事の終焉をはっきりと意識したのであろう。…それから77歳で死ぬまで20余年間、勝は氷川(赤坂)町の自宅に悠々閑々、世の中とは不即不離、超越して生きている。そして、内は徳川宗家および慶喜の世話をし、外は依然として変節漢よばわりに耐えながら、旧幕臣のための種々の面倒をみつづけているのである。…さらに隠居後の勝っつあんのすばらしく偉いところは、そんな人知れぬ援助の苦闘をつづけながら、余暇にはもっぱら著述に専念しているところにある。」
「『氷川の隠居』には、もっとも大事な、どうしても自分がはたさなければならないと決めた大仕事があったのである。それは逆賊となった不出世の英雄・西郷隆盛の名誉を一日も早く回復してやることであり、おなじく慶喜に付せられた『朝敵』の汚名を何とか何とかはらさねばならない、という難事業である。…西郷の再評価も、慶喜の復活も、とりも直さずいまをときめく明治政府の高位高官たちへの皮肉、いや、嫌がらせ、いや、政策への抗議につながるものであろう。…そのたには、世にいう『あひるの水かき』が必要であった。

日清戦争について― …孤立していたばかりでなく、唯一独特の非戦論であった。
「…西欧列強に乗じられそうな兄弟げんかをおっぱじめるならば、政府が否が応でも外債に頼らざるをえなくなるではないか。…『自前の金がなければ戦争はやらぬ』の勝っつあんの主張…海舟にあっては、日清韓三国提携が幕末からずっとつながってきているいじょうに、外債反対論もまた一貫していたのである。」日清戦争中の「毎日新聞」1895/1/27海舟゜『オレの国を愛する眼中には、官吏も大臣もない。先日も、戦争の始末を聞きに来た者がある。聞けば近頃は(戦場で)日々百人も死ぬそうだ。罪なき者を殺して、知りもせぬ後の始末を人にきく。それだから腹が立つのだ…』 半藤さんの嘆き「中国敵視、韓国蔑視の、まるでかつての尊皇攘夷運動みたいな妙ちくりんな言説を、新聞や雑誌で読まされると、黄泉から勝っつあんを呼び戻して意見をききたくなってくる。」

「虫の好かない奴」・福沢諭吉― 海舟が諭吉に言ったとか『君はまだ下宿屋みたいなことをやっているのかい』慶應義塾のこと。諭吉『痩我慢の説』で海舟批判。それに対して海舟『行蔵(コウゾウ)は我に存す、毀誉(キヨ)は他人の主張、我に与えからず我れに関せずと存候』
☆ 福沢諭吉の「文明論之概略」はとても評判が良い本です。海舟と似たところがあったので、逆にウマが合わなかった?でも咸臨丸から仲悪い!

   
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【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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