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勝海舟と江戸と明治から考えた事と他の本より

 

勝海舟は最晩年に、江戸の町を戦火から救ったということなのでしょうか勲一等旭日大綬章を受勲した。しかし東京の町を特に下町を多くの民が焼死するよう空襲(1945/3/10)した張本人・カーチス・ルメイが勲一等旭日大綬章を受勲している。なんで?航空自衛隊への貢献だそうだ。1964年第一次佐藤内閣の閣議決定です。天皇は慣例を無視して、手渡さなかったとのこと。ルメイのしたことは、西郷さんのビビった「国際法違反」であることはもちろんです。死者10万、被災者100万人で、みんな民間人です。防げるすべはたくさんありました。国際法違反の大虐殺者のルメイさんは罰されなければ腑に落ちません。
先の戦争に突っ込んでいった原因の一つに明治の薩長藩閥政治からの流れがあったのでは? 海舟の生き方・考え方を知ってそう思います。
江戸城無血開城、負けがわかってるから無用の血を流さない。ミッドウェイ海戦で負けたら、日本の勝利はもうなかったのでしょう。無理やり戦争つづけて、何人死んでいったのか?それ以前に戦争しなければ良いのですが。
☆ 明治維新とそれ以後の精神? 五箇条の御誓文  横井小楠の思想が多いとか
一 広く会議を興し、万機公論に決すべし
一 上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし
一 官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す
一 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし
一 智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし
◎ 昭和天皇は「人間宣言」にこの五箇条の御誓文を入れました。ということはいまも生きてます?

☆ 明治維新と江戸 「幕末・維新」井上勝生 著より
「社会が必要とする勤勉や、規律や衛生は、じつは、江戸民衆社会に、欧米のそれとは、形態が違っていたかもしれないが、成熟した形で存在したのである。だとすれば、明治初期の文明開化とは、なにものだったのだろうか…無知蒙昧の百姓を、文明開化した国民へと教化したという聞こえのよい物語に変形したのも、文明開化のなしたことのひとつである。…最後に、文明開化が、俗信や迷信を『無稽の謬説』などとして否定し、合理精神を育てたといわれてるが、明治政府は、合理精神を貫けただろうか。日本開国期に、日本中が攘夷で沸きたち、そうして世論の中心に天皇・朝廷の攘夷論があったという維新当初から強調された、(神国思想や大国主義)日本開国の物語こそが、事実と違う『無稽の謬説』であった。(編集)
☆「開国・維新」松本健一著 より
「この二つの談話(略)をみれば、当時の民衆の意識の中には、草莽の志士たちの革命的イデオロギーとなっていた尊王論が、まだほとんど根を下ろしていなかったことがわかる。その民衆にとってはほとんど未知の天皇が新しい権力として出現し、幕藩体制・門閥制度の徳川時代にかわって国民国家体制をつくりあげる、というのである。…権力交替なんてお上の政治のことなんか、どうでもいいじゃないか、という民衆のアナーキーな気分で、・そして不安から『ええじゃないか』の狂乱踊りが広範囲に出現した。」
「坂本龍馬は勝海舟の示唆のもと、横井小楠と西郷隆盛を結びつける位置にいたこと…」 
「日本もそういった西洋の文明=帝国主義政策を理念型として後から追いかけ、みずから模倣してゆくわけだが、西郷の文明観はそういう帝国主義を『野蛮』だ、というのである。
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【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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プロフィール

高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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