「…この小説(雪災)を執筆する前から、いや、3.11の大災害が起こる前から、わたしは日本の各地の原発を抱える町を訪ね歩いてきた。どこへ行ってもわたしの目に写るのは同じような光景、同じような愚かさで、その相似性に驚くほかはなかった。原発の助成金、補助金で作られた分不相応に立派な道路と箱物。そして、原発から金が入り、さらに原発関連の企業や労働者が流入してくるにもかかわらず、下降線を辿る一方の経済。・私はこの国には原発はあるべきでないと、と考えている。しかし、3.11後に起きた反原発運動には首を傾げていた。都会で電力を消費していただけの人間が、原発がどれほど危険なものであるかに気付き、それをなくそうと立ち上がる。そこには、原発を受け入れざるをえなかった地元の人たちへの心情に対する同情と想像力が著しく欠けているからだ。
【暮らし上向き 詭弁】 一部の政治家と利権に群がっている勢力を除き、だれだって原発がいいとは思ってはいないのだ。しかし、原発がなければ経済的に瀕死の状態になる、原発のある自治体に暮らす人の多くはそう思っている。いや、思い込まされている。原発があっても経済は下向きのままだったのに、3.11以降稼働が停止している原発を再び動かせば暮らしが上向きになるなど、詭弁以外の何物でもない。しかし、彼らはそう信じる。信じざるを得ないのだ。長い年月にわたって国と電力会社にそう考えるよう方向づけられてきたからだ。だから、選挙があれば、原発容認派が必ず勝利する。いや、最近では原発の再稼働が選挙の争点になることさえまれになっている。…戦後70年の間に生じた歪みは、この国のあちこちでもうどうにもならないほどになっている。いつかどこかでぽきりとなにかが折れてしまうのではないか。国民のひとりひとりがその恐れを胸に抱き、しかし、なにかの行動を起こすこともなく、見て見ぬ振りをしている。歪みが生み出す不穏な空気はすでにこの国に覆いはじめている。憎しみを剥き出しにする人々。極右に傾く政府。同胞が殺されるかもしれぬというのに、なんとして助けようと言う前に「自己責任」という言葉を口にする国民。なにもかもが他人事だ。実感できるのは自分の懐にある金だけ。70年という時間は、日本人という民族をそう変質させてしまった。
…このままではだめだということだけははっきりしている。実際、この国で起こるさまざまことにうんざりしている自分がいる。原発も、そもそものはじめは未来を豊かにする最新鋭のテクノロジーのはずだった。しかし、それが間違いであることを大地震と津波が暴いてしまった。ほかにも正しいことだと思いながら、しかし、間違いだったことは多々あるはずだ。
間違いは正すべきではないか。たとえ時間がかかったとしても。
☆間違いだと言う言論が、委縮しては困りますし、自分と関係ないと言われても、関係あるのですからね。
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