① 敗戦による非軍事化の過程で、いわば自動的に植民地を失った。そのために、植民地主義の克服という独自に解決しなければならない課題が、非軍事化一般の中に埋没し、忘却されたともいえよう。
② サンフランシスコ講和条約自体に大きな問題がはらまれていたこと。冷戦への移行の下で「寛大な講和」となり、・戦後処理があいまいになり、つぐなうべき被害を他国や他民族に与えたという自覚が日本国民のなかで希薄になってしまった。…さらに冷戦によって長期にわたって戦争責任・戦後処理の問題が封じ込められていた。
③ 日本政府、日本社会が戦争責任や戦後処理の問題にまがりなりにも向き合うようになった時期(1980~90年代)が、日本の大国化の時期と重なりあったこと。・この時期に戦争の非当事者が戦後処理の当事者になるという問題と重なった。それにより、アジア諸国から「非難」「断罪」されることに対する反発や戸惑いを内攻化させた人々が・歴史修正主義になっていき、巻き返しを可能にしたのではないだろうか。
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