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歴史への想像力が衰弱した社会で、歴史を問い続ける意味 吉田 裕 記 世界1月号

・「闇から闇への危機再び 秘密保護法施行を前に
・新自由主義時代の歴史の受難

◎ 加害者としての意識はなぜ希薄なのか

① 敗戦による非軍事化の過程で、いわば自動的に植民地を失った。そのために、植民地主義の克服という独自に解決しなければならない課題が、非軍事化一般の中に埋没し、忘却されたともいえよう。

② サンフランシスコ講和条約自体に大きな問題がはらまれていたこと。冷戦への移行の下で「寛大な講和」となり、・戦後処理があいまいになり、つぐなうべき被害を他国や他民族に与えたという自覚が日本国民のなかで希薄になってしまった。…さらに冷戦によって長期にわたって戦争責任・戦後処理の問題が封じ込められていた。

③ 日本政府、日本社会が戦争責任や戦後処理の問題にまがりなりにも向き合うようになった時期(1980~90年代)が、日本の大国化の時期と重なりあったこと。・この時期に戦争の非当事者が戦後処理の当事者になるという問題と重なった。それにより、アジア諸国から「非難」「断罪」されることに対する反発や戸惑いを内攻化させた人々が・歴史修正主義になっていき、巻き返しを可能にしたのではないだろうか。

④ 日本における「戦争受忍論」つまり「戦争だから犠牲や苦難を強いられるのは仕方がない」という考え方の根強さ、からである。清沢冽の『暗黒日記』のなかで「…決して米国の無差別爆撃を恨んでも居らぬことである。…『しもた屋が焼かれるのは仕方ない、戦争なんだから』と男が話していた。日本人の戦争観は、人道的な憤怒が起きないようになっている。」アメリカの歴史家ジョン・ダワーは、なぜ日本人はアメリカ軍による日本の都市空襲を、アメリカ軍の戦争犯罪として告発しないのかと発言したことがある。日本人に根強い受忍論がどこからくるのか、歴史的検証が必要だろう。

◎「死の現場」への想像力を。 敗戦から70年、先の戦争における戦死の現実はきわめて無残な
 ものだった。
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【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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プロフィール

高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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③ 旅や山行での報告感想  
等で 皆様の役にたてたら良いなと思うブログを書いてまいります。

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