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「ホロコースト」-ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌-  芝 健介 著

「ホロコーストとは、ナチ・ドイツによるユダヤ人大量殺戮を指す。第二次世界大戦開始の1939.9月よりナチ・ドイツ敗北の1945.5月までのあいだに、およそ600万人のヨーロッパのユダヤ人が殺害された。一民族が、これほど多く、組織的に殺されたケースは歴史上存在しない。
…その背景には、まずヨーロッパ社会が伝統的に抱えていた反ユダヤ主義があった。
ホロコーストが世界的に知られるようになったのは、1978年にTVドラマ『ホロコースト―戦争と家族』が、米国で放映されてからである。☆「夜と霧」の初版は1956年である。
…ホロコーストにいたる複雑なプロセス、ドイツのユダヤ人だけでなくヨーロッパ地域のユダヤ人のほとんどが巻き込まれた事実、さらに強制収容所や絶対収容所が多種存在し、アウシュビッツだけではない惨劇が数多くあったことを理解いただけると思う。」 

・第一次世界大戦の敗北後ドイツは「(多額の賠償で)次の戦争では絶対負けることが許されないという焦りから『勝利のためには何をやってもよい』『民族の敵、非国民を容赦するな』というなりふり構わぬ暴力と強圧の論理がまかり通るようになり、・民族至上主義は、一つのデマゴギ―を流布させていく。卑劣な国内革命分子による『背後からのひと突き』で敗北し瓦解した、というもので・マルクス主義やユダヤ人への怨恨を掻き立て、彼らを標的にしたテロを横行させることになる。」
・1920.2.24国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)生まれる。
ヒットラーの『わが闘争』には「ユダヤ人は、ドイツ崩壊の邪悪な病原体である指弾する」「ヒットラーのこうした支離滅裂で毒々しい話が、あらゆる章に展開されている。だが、複雑な社会を単純な陰謀論で解き明かしたこの本は、面倒な手続きと時間のかかる民主制よりは即効の独裁を好んだ人びとの、バイブルになっていく。」
・ユダヤ人陰謀論『シオンの賢者の秘密』は偽書、この本の主張するユダヤ人秘密政府による世界支配樹立計画が大衆の想像力にかなりの影響を及ぼしたとも言えた。☆日本でもそんなオカルト集団がいる
・1933.3.23 『全権委任法』ヒットラーへの全権委任。
まず排除は、左翼系公務員、次、公職追放されるユダヤ人そしてアウシュビッツへ。
・1935.9.15 ナチ党員に独占の国会で『ドイツ国公民法』『ドイツ人の血と名誉を守るための法』あわせて『ニュールンベルク人種法』喝采にて可決 …まず経済からの排除、政治的・法的圧力の強化…ユダヤ人の出国を促す…「パレスティナや諸外国に向けてのユダヤ人の出国を促す政策に限界が見えて来た…
・1938.11.9 『水晶の夜』ドイツ全土で突撃隊・親衛隊によって、ユダヤ人の商店等へ残虐行為、そして強制収容所へ。砕けた窓ガラスが水晶のよう… 「多くの住民は不安な面持ちで押し黙って事態を眺めていた」「国民の圧倒的な部分が『正当な民族の怒り』に理解を示さなかった。」
・1939.9.1 ドイツ、ポーランド侵攻・制圧 ユダヤ人にダヴィテの星の腕章を付けさせる。ポーランドで、ナチスは『生存に値しない命』として、障害者を大量殺害をはじめた。そしてドイツ国内でも。
・1939.9.3 英仏参戦、第二次世界大戦。1940.6.14 パリ占領。仏領のアフリカのマダガスカル島にヨーロッパ・ユダヤ人を移送計画を立てる。『民族を冒すウィルス』ユダヤ人との接触を回避という。1942.9マダガスカル島が英軍に占領され、・新たにユダヤ人を集住化させる『ゲットー化』政策へ。
・「ゲットーでは・食糧供給の制限によって緩慢な大量殺人が行われていたといっていい。」ワルシャワゲットーのでてくる『戦場のピアニスト』参照。そのころヒットラーは、最終的にはユダヤ人を非ドイツ人地域に強制移送し、ソ連との境界、その領土内に追放しようと考えていた。」
ゲットーの直接管理はユダヤ人評議会が行った。様々なゲットー内指導者(ユダヤ人)がいた。
・1941.6.22 ドイツ軍360万人、ソ連へ侵攻。ソ連領内のユダヤ人をとにかく、行動部隊、武装親衛隊は殺害、250万人と考えられる。バルト三国はソ連に占領され、ソ連への反感から、ナチを「解放者」として歓迎、ナチにそそのかされた現地の人は、ユダヤ人を棍棒で殴殺していった。参考・独ソ戦のソ連の捕虜の総計は570万人でそのうち330万人死亡。ナチの捕虜処遇のひどさ。
・親衛隊大佐曰く『大量射殺が兵士にとってかなりの重荷になってきており、自分のガス・トラックはこの重荷から解放した。』 「当初、ポーランド占領までは、『追放』を考え、それまでの過渡期として『ゲットー』に押し込める。追放地として目論んだソ連の膨大なユダヤ人に対しては、『大量射殺』で臨んだ゛。だがその限界はすぐに露見し、独ソ戦が膠着状態となるとともに、最終的に毒ガスを用いる『大量殺戮』が求められるようになる。」
・1941.12 殺害のみの最初の絶滅収容所、ヘウムノに作る。
・1942.1.20ウァンセー会議 ドイツのエリートたちのユダヤ人問題の『最終解決』のための会議。『労働可能』ユダヤ人は奴隷的労働による過酷な搾取と『自然的減少』の運命を、『労働不能』ユダヤ人にはガス殺による即刻殺害という選別計画を了承した。この会議の結果、すでに起動していたヘウムノ絶滅収容所(15万か34万)、を含め、ラインハルト作戦によるベウジェツ(60万)、ソビブル(25万)、トレプリンカ(80万)、また強制収容所を兼ねたマイダネク(12万)、アウシュビッツ(110万)といった六つの絶滅収容所が起動する。()は死亡数
・「三つの絶滅収容所の閉鎖・解体は、傷痕を残さないための労働力として収容していたユダヤ人によって行われ、最後は親衛隊から彼らを射殺して終わった。…ラインハルト作戦は戦後、解明がほとんど進まなかったのである。」
・絶滅収容所の末端で働かされていたのは、ユダヤ人特別労務班員(カポー)であって、ガス殺後の遺体の片づけ処理を強制されていた。彼等もまた不必要になれば抹殺された。生き延びたとしても・隠れて暮らすことになる。」
・ドイツ本国の強制収容所に強制的に移動させていた『死の行進』、戦争終結前2か月に強いられた収容者は25万にのぼり、多くが落命… アンネフランクも病死。
・1945.1.18アウシュビッツより「死の行進」1.27ソ連軍、アウシュビッツ解放 5.7独、無条件降伏

・政治学者ヒルバーグは、ホロコーストが近代技術官僚制から生まれた何千という措置・法律による一連の行為から成り立っているとし、ナチ体制の広義の官僚制を絶滅機構ととらえ…、戦後の奇跡の復興、発展を遂げた西ドイツは、ナチ体制との断絶を強調してきたが、官僚を中心に連続性を保ってきたのが実情であった。ホロコーストが国家総体としてなされた犯罪であるというヒルバーグの枠組みを受け入れるには強い抵抗感があったが、現在ではその考えが広く受け入れられるようになってきた。☆日本も同じ
「かつてホロコーストは、ヒットラーをはじめヒムラー、ゲッペルス、ハイドリヒ、アイヒマンなど、ナチ指導者たちの責任論で片づけられることが多かったが、現在では一般ドイツ人を含む広範囲の人間の社会的な問題と認識されつつある。」
☆日本と違い、ドイツは戦争責任を水に流さず、しつこく追及することになってますが…
☆大東亜共栄圏も低能な支那人を教えてやるんだと言う、人種差別があり、ナチスと似ていた…そんな世界にあこがれてるみたいな、ボスとその取り巻きは、私には理解不能。(後日記)
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【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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