◎エリート判事が不治の病にかかって肉体的にも精神的にも恐ろしい苦痛をなめ、死の恐怖と孤独にさいなまれながら、死の直前にはやって来た喜びの?境地を描く。アンナカレーニナ後の傑作の小編。以下、私的コンセプト的抜粋
・「…親しい知人の死なる事実そのものが、訃報に接するすべての人の心中に、『死んだのはおれではなくてあの男だ』という、いつも変わらぬあの悦びの情を呼びさましたのである。」
・「すべての死人の例にもれず、彼の顔は在世の時よりも美しく、…その顔には、必要なことはしてしまった、しかも立派にしてのけた、とでもいうような表情があった。のみならず、この表情のうちには、生きている者に対する非難というか、注意というか、そんなものが感じられた」☆トルストイお得意の表現ですね。
・「…しかし、この権力の意識とそれを和らげ得る可能性が、彼にとっては、新しい勤務の主な興味や魅力になっているのであった。」
・「誰ひとりとして彼自身の望んでいるような、同情の現し方をしてくれないことであった。判事仲間・画やってくる。・イワン・イリッチは真面目ないかつい、分別くさそうな顔をしながら、古くからの惰性で、大審院の判決の意義に関して自説を述べ、執拗にそれを固守するはにになるのだ。彼の周囲と内部におけるこの虚偽が、なによりも強くイワン・イリッチの余生を毒するのであった。」
・「今の彼イワン・イリッチを造り上げた時代が始まるやいなや、その当時よろこびとおもわれたものが、今の彼の目から見ると、すべて空しく消えてしまい、なにかやくざなものと化し終わり、その多くは穢らわしいものにさえ思われた。」「自分は山に登っているのだと思い込みながら、規則正しく坂を下っていたようなものだ。・世間の目から見ると、自分は山を登っていた。…」「…自分の生活を形づくっていたすべてのものを見た。そして、それがなにもかも間違っていて、生死を蔽う恐ろしい欺瞞であることを、はっきり見てとった。この意識が彼の肉体上の苦痛を十倍にした。」
・「…古くから馴染になっている死の恐怖をさがしたが、見つからなかった。いったいどこにいるのだ?恐怖はまるでなかった。なぜなら、死がなかったからである。・彼は声にたてて言った『なんという喜びだろう!』これはすべて彼にとって、ほんの一瞬の出来事であった…しかしそばにいる人にとっては、彼の臨終の苦悶はなお2時間つづいた。…」
◎訳者・米川和夫の解説より「…トルストイが発見した宗教的真理は、決して彼自身のごとき少数の選ばれたる人のみの所得ではなく、あらゆる人の到達し得る必然の境地であるという事を、芸術の形をもって証明しようと試みたのにほかならない」
☆最高裁中枢の暗部を知る、元エリート裁判官・瀬木比呂志の衝撃の告発書『絶望の裁判所』の本の中で現裁判官の45%は、イワン・イリッチタイプだと、書いている。そのタイプとは「成功しており、頭がよく、しかしながら価値観や人生観は本当は借り物というタイプ。スマートで切れ目のない自己欺瞞の体系」とある。そんな裁判官はイワンのように、不治の病になればいいのにと言ったら、神様から《バチ》があたりますかな?
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