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「楢山節考」  深沢七郎 著

◎日劇ミュージックホールの楽屋(ヌードダンサーの多い)で書いたという。なんという凄さ!
「山と山が連なっていて、どこまでも山ばかりである。…」の出だし。
「おりんは今年六十九だが亭主は20年前に死んで、一人息子の辰平の嫁は去年栗拾いに行った時、谷底へ転げ落ちて死んでしまった。」☆私・筆者はあとひと月で69歳、まだ死にたくありません! 歌「楢山祭りが三度来りゃよ/ 栗の種から花が咲く」(☆死と新たな生?)・・「…村では70になれば楢山まいりに行くので年寄りにはその年の近づくのを知らせる歌でもあった。」 歌「塩屋のおとりさん運がよい/ 山へ行く日にゃ雪が降る」・「雪のない道を行って到着した時に雪が降らなければ、運がよいとは云われないのである。この歌は雪の降る前に行けという、かなり限られた時の指定もしているのである。」
おりん・歯が達者「これはおりんに恥ずかしいことになってしまったのである。…食料の乏しいこの村では恥ずかしいことであった。」…「孫のけさ吉なども」替え歌を作り、歌「おらんのおばあやん納戸の隅で/ 鬼の歯三十三本揃えた」と唄って村で大喝采を博した。…おりんは「歯もぬけたきれいな年寄りになって行きたかった。そこで、こっそりと歯の欠けるように火打石で叩いてこわそうとしていたのである。」 「極度に食料の不足しているこの村では曽孫を見るということは、多産や早熟の者が三代つづいたことになって嘲笑されるのであった。」「とんでもねぇ、早く行くだけ山の神さんにほめられるさ」
嫁のお玉に、いわなのいるところ伝授し、前歯が2本欠け、「これで何もかも片づいてしまったと躍り上がらんばかりだった。…実に肩身がひろくなったものだと歩いて行った。」 孫の嫁の「松やんが子を生めばおりんは、ねずみっ子を見ることになるのであった。」 「わしが山へ行ったそのあした、家中のものが、きっと、とびついてうまがって食うことだろう。その時はわしは山へ行って、あたらしい筵ムシロの上に、きれいな根性で坐っているのだ。」
「振舞酒・教示・作法…『お山へ行く作法は必ず守ってもらいやしょう。一つ、…一つ…』『おい、嫌ならお山までいかんでも、七谷の所から帰ってもいいのだぞ』・『まあ、これも、誰にも聞かれないように教えることになっているのだから、云うだけは云っておくぜ』そう云って帰って行った。
山に行きたくない又七に「…おりんは叱るように又やんに云い聞かせた。『又やん、つんぼゆすりをされるようじゃ申しわけねえぞ、山の神さんにも、息子にも、生きてるうちに縁がきれちゃ困るらに』…」
お山へ「登っても登っても楢の木ばかり続いていた。…死人だった。両手を握って合掌しているようだった。…おりんは手を出して前へ前へと降った。…白骨が雪のふったように、白くなるほど転がっていて…」・「(辰平の)頭の上からは湯気が立っていた。おりんの手は辰平の手を堅く握りしめた。それから辰平の背中をどーんと押した。」本当に雪がふったなぁー「お山まいりの誓いをやぶって後をふり向いたばかりでなく、こんなところまで引き返してしまい、物を云ってはならない誓いまで破ろうとするのである。…これだけは一言でいいから云いたかった。・『おっかあ、雪が降って運がいいなあ』・おりんは頭を上下に動かして頷きながら、辰平の声のする方に手をだして帰れ帰れと振った。『おっかあ、ふんとに雪が降ったなア』と叫び終わると脱兎のように馳カけて山を降クダった。」
七谷で「そのうち倅が足をあげて又やんの腹をぽーんと蹴とばすと、又やんの頭は谷に向かって・落ちていった。」
子供たちは、歌「お姥捨てるか裏山へ/ 裏じゃ蟹でも這って来る  這って来たとて戸で入れぬ/
蟹は夜泣くとりじゃない」と唄って、おりんの帰らぬことは知っていた。 おりんの・綿入れをもうけさ吉はどてらのように背中にかけてあぐらをかいて坐っていた。・おりんはまだ生きていたら、雪をかぶって綿入れの歌を、きっと考えてると思った。(歌)なんぼ寒いとって綿入れを/ 山へいくにゃ着せられぬ」

◎「シンガーソングライターでもある『楢山節考』の深沢七郎の歌
『楢山節』 おとっちゃん 出て見ろ/ かれきゃしけげる/ いかざあなるまい/ しょこしょって
      夏はいやだよ/ 道が悪い/ むかで長虫/ やまかがし
      かやの木ぎんやん/ ひきずり女/ あねさんかぶりで/ ねずみっ子抱いた 
  元詩  塩屋のおとりさん/ 運がいい/ 山へ行く日にゃ/ 雪が降る/ 
      楢山まつりが/ 三度来りゃよ/ 栗の種から花が咲く
      おらんのぉ母ぁやん/ 納戸の隅で/ 鬼の歯ぁ三十三本/ 揃うた
『つんぼゆすりの唄』 ろっこんな/ろっこんな/ お子守りゃ楽のようで楽じゃない/ 肩は重いし背中じゃ泣くし/ ア六根清浄/ オ六根清浄   ろっこんな/ろっこんな/ つんぼゆすりでゆすられりゃ/ 縄は切れるし縁も切れる
      ア六根清浄/ オ六根清浄  詩は別バージョンもあるようだ。☆歌いたいけど楽譜が詠めぬ。

☆何故、七郎さんは、山で雪が降り、掟破りまでさして、辰平をおりんの近くまで戻らせたのだろうか?

随筆『舞台再訪《楢山節考》』 深沢七郎 著 より
「…姥捨の伝説から題材を得たので信州の姥捨山が舞台だと思われているようだが、あの小説の人情や地形などは、ここ山梨県東八代郡境川村大黒坂なのである。」終戦当時はじめてこの地を訪れた。
「その泊めてもらっているうちにこの村の人達の生活に接して、それは、教育とか、教えられたとかい細工を加えられた人間の生き方ではないもの、いかにして生きるべきかを自然にこの村のひとたちは考え出していると、私は気がついたのだった。真似ではなく、自然に発生した―土から生まれたとでもいうべき人間の生き方なのだと私は知った。」(現在の風習ではありませんが)「さて、私はこの大黒坂へ来て、ここに私の血縁(嫁に行ったいとこの母親)の84歳の老婆を訪れた。・老人だから宗教にこっていて威勢よく私に入信をすすめるのである。『私は楢山教です。教主ですからダメです。』と私は真っこうからはねつける。そこで私は老婆と丁々発止と論争をしてしまった。…こそこそと逃げるような思いで私は大黒坂から帰りみちについた。」☆これ、おとぼけ深沢節でしょ。
◎1969年朝日新聞の談話より「私がこの村の人たちを好きになったのは、生きていくぎりぎりの線上に わいた人情、風習――それこそ、原始の味も残されていると気がついたからである。」

◎ストリップショー付出版記念会 中央公論の嶋中社長の発案。日劇ミュージックホールで、伊藤久雄が{楢山節」を、島倉千代子が「つんぼゆすりの歌」を歌い、バックで裸のダンシングチームの踊り。前代未聞の出版記念会。伊藤整、東大教授等様々、若き美輪明宏もいた。

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【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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プロフィール

高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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