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「なぜ日本人は 世間 と寝たがるのか―空気を読む家族」佐藤直樹 著 読書ノート

はじめにより「近代家族の本質は、〈夫―妻〉の間にある『愛情原理』を中心とした〈対幻想〉にあるが、日本の家族は、この〈対幻想〉が〈共同幻想〉としての『世間』からつねに侵食を受けてきた。伝統的共同体としての『世間』が明治以降の近代化=西欧化によって、しだいに解体・消滅してゆくものとして考えられたが、じっさいには解体も消滅もしなかったからである。言いかえれば、『世間』のいわば出先機関としての『家』制度は、戦後の民主化によってたしかに解体・消滅したが、じつはその後も、『いえ』の意識は家族に内面化されて、しぶとく残っている。…日本では近代家族など成立したためしなどなかったのではないか、ということである。」

歴史学者 阿部謹也は「日本には社会という西欧から輸入された言葉はあるが、実体としては存在しない現実を明らかにした。」「社会という人間関係は、あくまでも人間の尊厳と一体のindividualからできあがっており、個人という概念もまた、当時存在しなかったために、1884年ころ訳語として個人をあてたのである。明治時代の近代化の過程で、・ところが社会という言葉は輸入したものの、その実体としてのsocietyの輸入には失敗した。言いかえれば、それまで連綿として存在してきた「世間」という人間関係を近代化することには失敗したと言える。」「日本の「世間」にあたる人間関係が、11,12世紀以前のヨーロッパにも存在していた・が・その後都市化とキリスト教の浸透によって個人が生まれ、それが800年ほど前に、個人の集合体としての社会という人的関係変化したのである。」
ヨーロッパ「この距離のとれた人間関係を前提とした「荒野のような自由」としての社会、それに対して
日本「真綿で首をしめられるような抑圧感」・「世間」=「日本人が集団になったときに発生する力学」「人々をかなり強い力で縛っているある種の権力」
・「世間」の第一のルールは「贈与・互酬の関係」
・「世間」の第二のルールは「身分制」みんな「年齢相応」という「世間の眼」を気にしている。
・「世間」の第三のルールは「共通の時間意識」個人という意識が無いのだから、みな同じでなきゃーとなり、「みんな一緒」という同調圧力が生じる。「出る杭は打たれる」のである。教条主義的な「無差別悪平等」なのである。西欧では親と子は各個人の時間を生きてます。日本は親子「共通の時間意識」に生きている。
・「世間」の第四のルールは「呪術性」。信心深いわりには、かなりいいかげんなところのある「呪術性」、大安の日の結婚式、お盆の里帰り、初詣、クリスマス、葬式の時のシキタリ等。
・これらが「大事なことは、それが一人一人の心に内面化されているということである。ということは、一つには『世間を離れては生きていけない』とよくいわれるように、所属することが、ひとびとに、『存在論的安心』をもたらしている。」
・「内面」の発見によって「私」たる個人が生まれたのだ。この「私」が成立してはじめて恋愛が成立した。逆に言えば、肉体的結合以上のものとしての恋愛は、「内面」をもった個人がいないところに存在しない。」「日本において・社会という人的関係の輸入には失敗した。「世間」には私的領域と公的領域の明確な区別がないために、近代家族の前提とする私的領域と公的領域の分離が存在しないのである。」
・「世間」は家族の外部にあって、家族をとり囲んでおり、家族に介入する。「いえ」は、家族にとって、いわば「世間」という中央官庁の指示を忠実につたえる出先機関のような役割を果たしている。…この構造は、個人責任・自己責任を基本とする近代法が出来た後も、変わらずに残った。」
・1975年、「単世代同居型」から「個別・同居型」へ変わるターニングポイント 芦沢俊介
・1975年「非婚化」と「晩婚化」が始まった時代 山田昌弘
・〈夫―妻〉のいない家: じつは、日本において近代家族は、70年代に「解体」される以前に、すでにあらかじめ「世間」による侵略を受け、本格的に成立しないままに、「解体」していったのではないか。
たとえば「夫は家族の代表者として、企業や会社にたいして私を捨てて奉公する。妻は、家族内の実質的な代表者として家族に対して私を捨てて奉公する。…ここには、『世間』が生み出す滅私奉公の構造が、そのまま家族内部に持ち込まれている」
・「『世間』から批判を受けたら、それがいかに理不尽なものであっても、ただそれにしたがうしかない。日本の家族においては、「いえ」を出先機関とする『世間』が内面化されていて、『世間を離れては生きてゆけない』と思っているからだ。」☆オレはやだね。
・「子どもの世界の『プチ世間』化 :…現代のいじめは『やさしい関係』の産物であり、子供たちはみずからの存在を安泰にするために、関係性の中ですくみあい、その反動として集団規範への過剰同調を強いられている。」
・1998年ターニングポイント、山田昌弘も「希望格差」社会の始まりと考えた。「自暴自棄型」犯罪が増える―苦労や大変さに耐える力(=希望)が持ちにくくなった。フリーターの数の急増…全世界的な新自由主義の台頭。J・ヤングは、この時代を『後期近代』と名づけ、それまでの福祉国家型の『包摂型社会』から、新自由主義的な『排除型社会』への転換があったという。」「日本では70年代以降を考えても、犯罪発生率は一貫して減少しており、治安は悪化していない。…『世間』には包摂的側面と排除的工面の二面があり、後期近代への突入とともに、『世間』の排除的側面が前景化したにすぎない。
・「現在においても日本では、(純粋な〈対幻想〉の関係であるべき恋愛に)『世間』という〈共同幻想〉に侵食されているという意味で、明治時代に輸入された恋愛が実質的に根付いていないのだ。」
・母子心中「…しかし日本では、子供を権利をもち人格をもつ個人であるとは考えない。母子は一体であり、その意味で子供は親の所有物となるから、親が処分可能な対象にすぎないことになる。日本の『残された子供がかわいそう』という発想は、それを前提にしているのである。」「裁判官も『世間』の構成員であるから、圧倒的に被告に同情的な『世間』の空気を無視することはできない。」
・「母性愛という呪縛: 母性愛は本能ではない。(パタンテール)19世紀ヨーロッパで製造されたイデオロギーにすぎない。…本能として母性愛を持ってるはずということになった。…日本でそれが造語されたのは大正時代始めで、それまでそういう概念は存在してなかった。…子育ては村ぐるみの共同体において行われ、嫁は労働力として期待された。戦後の高度成長期、1960年代、専業主婦が成立し、・母性愛イデオロギーが強化されていく・『三歳児神話』が1960年代に輸入され、高度成長期に適合的な理念として一気に広まった。家庭は企業戦士にとって安らぎと充電の場とされ、妻は家庭を守り夫の健康管理をするという性的役割分業が確立した。…問題なのは、現在もまたこうした神話が依然として日本の家族を呪縛していることである。とくにそれが、周囲、すなわち『世間』からの同調圧力として現れることが問題である。」「…『世間』の空気をメディアが察知し、メディアの報道によってさらに『世間』の空気が強まるという共犯関係が生まれる。☆メデイァには知性というもんはないんか?ブンヤ野郎!…インターネットの『世間』の空気が加わる。」
・加害者家族論 なぜ謝る必要があるのか? ☆全くない
「謝ると『世間』の受け取り方は全く違う。日本では謝罪はある種の呪力を持つ。」
・「『世間』には『共通の時間意識』に由来する『人間平等主義』かあるために・じとじとした『ねたみ』の構造がある。「…『世間』のなかでは個人がいないために、個人の権利も存在しない。『権利だけ主張しないでください』というセリフでは、権利が悪い意味で使われていて、権利=正しいという本来の意味がどこかにふっとんでいる。」
・「日本人はじつに信心深い。呪力をもった言葉には、みんなに従わなければならないという同調圧力が生じるのである。この意味では、日本の『土下座』は謝罪の最終兵器である…『世間』の『呪術性』というルールに縛られているからである。」
・アメリカの家族は加害少年を守る。…「アメリカの家族が、子供を守るのは当然と考えているのは、そこに社会と対決し得る近代家族が形成されてきた歴史があるからである。しかし日本の場合、歴史的に、近代家族は成立しないままに、『解体』されてしまったために、家族の『愛情原理』が希薄であり、容易に『世間』の介入を招いてしまう。『世間』の、『いえ』全体で責任をとれという圧力に抗する原理を、日本の家族はもっていないのだ。」
・とくに98年以降保守化への逆転が生じ、『世間』が前景にせり出して以降、加害者家族に謝罪を要求するメディアスクラムが、以前と比較してもひどくなっているように思える。」
・「日本人は神と対峙するのではなく、あくまでも『世間』との関係において生きてきた。そのために年中行事に象徴されるような、『円環的時間』の流れに身をゆだねてきたのである。…『世間』には神と対峙する個人が存在しない。問題なのは、それゆえ、自分にふりかかってくる歴史的事件が、主体的にかかわってゆけるものとしてではなく、あたかも台風などの自然現象のようにしかとらえられなくなることである。」☆戦争になってもかよう…奴隷根性?鈍感か、あほか、
・…90年代後半の新自由主義の台頭によって、競争的環境が生まれ、『世間』が解体し、個人が生まれるかとも思われたが、みてきたように、逆に『世間』の抑圧性が強まっただけであった。」
・『世間』と向き合うには、「まず『世間』をよく『みる』必要がある。自分の周りの『世間』がどのようになっているのかというその構造を見極めるということである。」☆対処法それだけなの?
・ここで大事なのは、家族をめぐる困難な問題で孤立したり、周りから避難されたりしたときに、ゼッタイに『自分が悪い』とは考えないことである。・日本の大問題はたいがい『世間』に発しているから、それは『世間が悪い』にきまっているのだ。☆そうだ『世間』が悪いのだぁー赤塚不二夫が言った…?
 『或る女』の葉子の生き様は現在はなおさら、『世間』様から非難されるのかな。

◎60%当たってるような、試論なのでしょうか。『内面』の発見の『内面』って何なんでしょうか。
 何故か小室直樹の「日本人のための憲法原論」と「日本近代の〈知〉と〈個人〉」と副題のある「加藤周一と丸山真男」樋口陽一著 を連想し読み返して読書ノートを作りたくなった。
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【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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プロフィール

高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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③ 旅や山行での報告感想  
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