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柳田国男への評論 3知識人による

A  加藤周一の評論 「日本文学史序説下」より

・「柳田が無限に引用する伝説や風俗の個別的な記述は、常に必ずしも彼が提出する問題と密接に関係してはいなかった。それぞれの部分に、全体から独立した価値がある。それは単に資料としての価値ではなく、個別的に事実への著者の愛情とからんでの、ほとんど詩的な味である。青春の柳田の裡に生きていた詩人は、88歳の最後まで死ななかった。」☆さすが!
・「官僚として半生を送った柳田国男は、都会の指導層が西洋を模範とした急激な社会的変化を、その中心部で熟知していたに違いない。西洋に対する日本の自己同定、急激な変化に対する文化の持続性、という同時代人の知識人に共通の問題は、柳田の場合に、殊に鋭く意識されたはずだろう。彼は全く独創的な仕方で解決しようとし、地方の『常民』の世界へ向かった。そこには日本の文化の基礎と持続性とがあるはずであった。・指導者たちの歴史に対して『常民』の歴史・生活史が成立する、と考え・彼は『常民』の世界に浸っていたのではなく、それを対象化し、理解し、普遍的な知的言語で叙述しようとしたのである。…柳田は『常民』の世界の構造の要点・その一つ、日本民俗の南方起源説である。主に『海上の道』。もう一つ、日本人の霊魂観、先祖観、すなわち死生観である。主に『先祖の話』。柳田は仏教の影響にもかかわらず、日本人の死生観の根底には、死者の魂が生者の近くにとどまるという仏教以前の考え方が生きている、といった。『日本を囲繞したさまざまの民族でも、死ねば途方もなく遠い遠い処へ、旅立ってしまうという思想が、精粗幾通りもの形を以て、おおよそは行きわたっている。独りこういう中に於いてこの島々のみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを懸念して居るものと考え出したことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りも無くなつかしいことである。』(『魂の行くへ』1949) ここには柳田国男のすべてがあらわれているし、またおそらくは、日本思想史の全体を解く鍵の一つ―宗教社会学的にそれ―も示唆されているのである。」

B 谷川健一の評論 『柳田国男の民俗学』岩波新書より2001年

・「柳田は大正6年を境にして、山人=先住民説を立証することを断念し、自分の興味を山民から海の民に移していく。」 
・「…そこでアイヌの祖先と日本人の祖先の雑居が盛んになった結果、アイヌは圧迫を受けて山に逃れて山人となるほかなかった、それがこの湿地を示す三つのアイヌ語の広い分布から察せられる、というのである。」「柳田は山人論の追求を放棄すると同時に、アイヌやアイヌ語地名についての興味を後退させた。」
・柳田曰く『…必ずある定まった家の田にのみ降られる神が、すなわちその家の神であり、それがまた正月にも盆にも同じ家に、必ず降りられる祖神だったろうということを、私はもう民間伝承によって証明しえられると思ってます。』(「日本人の神と霊魂の観念そのほか」)
・「一般に霊のみは自由に清い地に昇って安住し、又は余執があればさまよひあるき、或いは愛する者の間に生まれ替わって来ようとしていた。」☆この世・人に恨みが残れば霊はウラメシヤーとなる。
・「彼は日本の近代がいかにすれば外来思想の模倣から脱して、思想の自立性を獲得できるかという疑問を解こうとした。そのために彼は日本人の意識のもっとも奥深い底まで下降しようと決心した。…私たちの意識や無意識の行動、とりわけ常民として民俗慣行の中に含まれている…」
・「新世紀を迎えた日本は今日かつてないほどの閉塞状態に陥っており(☆そう考えられない人が多いんだよ!)…そこで、排外的な国粋主義と欧米追髄主義の双方とも日本人としての真の「自身のなさ」から発していると見抜き、『日本人とは何か』という問いを解くべく、ひたすら常民の伝承世界を追い求めていった柳田国男の精神がよみがえるときがきたと私は考えている」☆そうだと良いですね。

C 磯前順一の評論 「戦後思想の名著」の中より

・「近代的な政教分離の理念を建前として利用し、神社を西洋的な国民道徳のなかに封じ込め、皇室ゆかりの人格神のみが常駐する場に限定する政府のやり方は、神社を家々の祖霊が去来する場としてとらえる立場の柳田にとっては、国民本来の信仰心を無視するものと映じたのである。」
・「柳田は紆余曲折を経たのち、1920年代半ばにはみずからの学問を西洋の普遍性から切り離して、日本固有性を構築する学問『民俗学』を称しはじめる。山人に代表される不可解な存在を日本国土のなかに繰り込む作業を停止させ、閉ざされた国民共同体へと彼の表現は転じていく。…大正期以降の社会状況のもとに、柳田の学問はアイデンティティの危機にさらされた人々に日本人の固有信仰という同質性を付与し、不安をしずめようとしたのである。」☆結果的にそうなったのでは?
・「『遠野物語』では鎮められることのなかった死者の霊が、『先祖の話』では『一定の年月を過ぎると、祖霊は個性を棄てて融合して一体になる』とされ、死者は個性をいつしか失い、大いなる共同体のなかへ祖霊として吸収されてしまう。」☆なんか消化悪いなぁー

髙田學の柳田国男への疑問点
・沖縄とその離島などに、日本民俗起源説の伝承があると言われますが、本州との墓の違いは、文化的な差、霊の考え方の差があるように思いますが。… 琉球は別民族だと私は思いますが。勉強します。
・学問・学問と言われますが…、文学も学問と言われれば… 、霊を学問的に取り扱うことは可能か?
 「心霊学者」は学者?……霊を認めたくない唯物論書は言います
A  加藤周一の評論 「日本文学史序説下」より

・「柳田が無限に引用する伝説や風俗の個別的な記述は、常に必ずしも彼が提出する問題と密接に関係してはいなかった。それぞれの部分に、全体から独立した価値がある。それは単に資料としての価値ではなく、個別的に事実への著者の愛情とからんでの、ほとんど詩的な味である。青春の柳田の裡に生きていた詩人は、88歳の最後まで死ななかった。」☆さすが!
・「官僚として半生を送った柳田国男は、都会の指導層が西洋を模範とした急激な社会的変化を、その中心部で熟知していたに違いない。西洋に対する日本の自己同定、急激な変化に対する文化の持続性、という同時代人の知識人に共通の問題は、柳田の場合に、殊に鋭く意識されたはずだろう。彼は全く独創的な仕方で解決しようとし、地方の『常民』の世界へ向かった。そこには日本の文化の基礎と持続性とがあるはずであった。・指導者たちの歴史に対して『常民』の歴史・生活史が成立する、と考え・彼は『常民』の世界に浸っていたのではなく、それを対象化し、理解し、普遍的な知的言語で叙述しようとしたのである。…柳田は『常民』の世界の構造の要点・その一つ、日本民俗の南方起源説である。主に『海上の道』。もう一つ、日本人の霊魂観、先祖観、すなわち死生観である。主に『先祖の話』。柳田は仏教の影響にもかかわらず、日本人の死生観の根底には、死者の魂が生者の近くにとどまるという仏教以前の考え方が生きている、といった。『日本を囲繞したさまざまの民族でも、死ねば途方もなく遠い遠い処へ、旅立ってしまうという思想が、精粗幾通りもの形を以て、おおよそは行きわたっている。独りこういう中に於いてこの島々のみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを懸念して居るものと考え出したことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りも無くなつかしいことである。』(『魂の行くへ』1949) ここには柳田国男のすべてがあらわれているし、またおそらくは、日本思想史の全体を解く鍵の一つ―宗教社会学的にそれ―も示唆されているのである。」

B 谷川健一の評論 『柳田国男の民俗学』岩波新書より2001年

・「柳田は大正6年を境にして、山人=先住民説を立証することを断念し、自分の興味を山民から海の民に移していく。」 
・「…そこでアイヌの祖先と日本人の祖先の雑居が盛んになった結果、アイヌは圧迫を受けて山に逃れて山人となるほかなかった、それがこの湿地を示す三つのアイヌ語の広い分布から察せられる、というのである。」「柳田は山人論の追求を放棄すると同時に、アイヌやアイヌ語地名についての興味を後退させた。」
・柳田曰く『…必ずある定まった家の田にのみ降られる神が、すなわちその家の神であり、それがまた正月にも盆にも同じ家に、必ず降りられる祖神だったろうということを、私はもう民間伝承によって証明しえられると思ってます。』(「日本人の神と霊魂の観念そのほか」)
・「一般に霊のみは自由に清い地に昇って安住し、又は余執があればさまよひあるき、或いは愛する者の間に生まれ替わって来ようとしていた。」☆この世・人に恨みが残れば霊はウラメシヤーとなる。
・「彼は日本の近代がいかにすれば外来思想の模倣から脱して、思想の自立性を獲得できるかという疑問を解こうとした。そのために彼は日本人の意識のもっとも奥深い底まで下降しようと決心した。…私たちの意識や無意識の行動、とりわけ常民として民俗慣行の中に含まれている…」
・「新世紀を迎えた日本は今日かつてないほどの閉塞状態に陥っており(☆そう考えられない人が多いんだよ!)…そこで、排外的な国粋主義と欧米追髄主義の双方とも日本人としての真の「自身のなさ」から発していると見抜き、『日本人とは何か』という問いを解くべく、ひたすら常民の伝承世界を追い求めていった柳田国男の精神がよみがえるときがきたと私は考えている」☆そうだと良いですね。

C 磯前順一の評論 「戦後思想の名著」の中より

・「近代的な政教分離の理念を建前として利用し、神社を西洋的な国民道徳のなかに封じ込め、皇室ゆかりの人格神のみが常駐する場に限定する政府のやり方は、神社を家々の祖霊が去来する場としてとらえる立場の柳田にとっては、国民本来の信仰心を無視するものと映じたのである。」
・「柳田は紆余曲折を経たのち、1920年代半ばにはみずからの学問を西洋の普遍性から切り離して、日本固有性を構築する学問『民俗学』を称しはじめる。山人に代表される不可解な存在を日本国土のなかに繰り込む作業を停止させ、閉ざされた国民共同体へと彼の表現は転じていく。…大正期以降の社会状況のもとに、柳田の学問はアイデンティティの危機にさらされた人々に日本人の固有信仰という同質性を付与し、不安をしずめようとしたのである。」☆結果的にそうなったのでは?
・「『遠野物語』では鎮められることのなかった死者の霊が、『先祖の話』では『一定の年月を過ぎると、祖霊は個性を棄てて融合して一体になる』とされ、死者は個性をいつしか失い、大いなる共同体のなかへ祖霊として吸収されてしまう。」☆なんか消化悪いなぁー

髙田學の柳田国男への疑問点
・沖縄とその離島などに、日本民俗起源説の伝承があると言われますが、本州との墓の違いは、文化的な差、霊の考え方の差があるように思いますが。… 琉球は別民族だと私は思いますが。勉強します。
・学問・学問と言われますが…、文学も学問と言われれば… 、霊を学問的に取り扱うことは可能か?
 「心霊学者」は学者?……霊を認めたくない唯物論書は言います。 
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こんにちは!

【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





皆さんのお力になれるような記事を 書けるように勤めます!


プロフィール

高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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① 読んだ本の気に入って皆さんに紹介したい部分や感想、
② 時事問題での皆様への問題提起
③ 旅や山行での報告感想  
等で 皆様の役にたてたら良いなと思うブログを書いてまいります。

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