帯より----新宗教で、初めて解った日本人の宗教観! 仏教や神道からでは知り得ない、近代の精神が浮上する画期的な書----
「天理教」 1838年立教の日 中山みき=教祖=親神=天理王命
奈良県天理市は宗教都市。中山みきが激しい神憑り(カミガカリ)を繰り返すのを見て、それこそみきが神である証であると信者たちは考えた。1887年90歳で亡くなる。中山みきの長男秀司は、神社の総元締めの吉田家に入門し・・既存の神道の伝統の上に天理教の宗教世界を築き上げていった。民間信仰の世界から出現しただけに、仏教の影響も受けていた。社会的に認知されることを求めて、政府に協力していった。1908年悲願の独立を果たし、教派神道として公認される。戦前、国家神道の体制に迎合するものに教典を改めて布教を展開した。教えの一つ『貧に落ちきれ』により信仰の証として布教活動にすべてを費やし、稼いだ金はみな教団に献金してしまうので「搾取の宗教」ともいわれた。戦後の天理教はみきの曾孫の二代目真柱、中山正善がになう。東大でのインテリで皇族ともつきあいがあり、膨大な庶民を信者として取り込むことは、創価学会のようには成功しなかった。
「大 本」(教) 1897年金光教より独立 教祖=出口なお 聖師=出口王仁三郎(オニサブロウ)なおの娘婿 出口なおは57歳のとき神憑りする、神憑り状態で筆をとり、神のことばを書き記す「お筆先」を書き続けた。出口王仁三郎は怪人、天衣無縫の魅力そして大本は宗教団体にとどまらず、精神革命、社会革命の運動としての性格を持った。京都府の綾部が本拠で「綾部新聞」「神霊会」の機関誌で布教。---鎮魂帰神の方法による神憑りの修行が実践できる---ことが売り物。「大正維新会」のスローガンを掲げ1920年大阪の日刊新聞『大正日日新聞』を買収し・・大本ブームそして第一回弾圧、神殿も壊される。王仁三郎はアジアに進出し右翼の頭山満や内田良平とも関係を持つ。その後昭和維新を掲げて「昭和神聖会」を組織し国会議員、軍人なども取り込んだが、またもや国家権力に脅威に感じられ、第二回目の弾圧、不敬罪、治安維持法で王仁三郎は6年8ヶ月牢屋、敗戦により大赦となり、1948年亡くなった。教団は分裂し力を失い今にいたる。愛善苑を名乗ったこともある。高橋和巳の小説『邪宗門』、出口和明(野上竜、王仁三郎の孫)の『大地の母』、富岡多恵子の『三千世界の梅の花』はこの宗教が題材の本。
「生長の家」 創立者 谷口雅春は自らの内なる声に促され1929年雑誌『成長の家』創刊号を刊行し生長の家の運動の目的は「心の法則を研究し、その法則を実際生活に応用して、人生の幸福を支配するために実際運動を行う」 こととされた。谷口雅春は早稲田大学文学部中退のインテリで最初大本に入信し京都鹿ヶ谷の一燈園(便所掃除で修行する)に惹かれたりし、そして大本から独立する。他の宗教とちがって特殊な祈祷などを行うことがなかったために、哲学的でインテリ向きの宗教だというイメージを保持していたが、聖典『生命の実相』全集を刊行し現世利益を強調する宗教団体へ変質していく。谷口は一人の求道者から宗教団体の教祖に変貌していく。すべての宗教の元は同じだとする「万教帰一」の考え方があり、彼はその根源を天皇に求めようとし、天皇信仰を核に据えることによって、生長の家の存在意義を社会に向けてアピールした。そして「聖戦」は終わり、敗戦で創始者谷口は1985年亡くなり、衰退。ブラジル等海外の信者は日本より多い。
「天照皇大神宮教」 1949年教祖 北村サヨ による「踊る宗教」が数寄屋橋公園に出現した。「無我の舞」である。歌説法の内容は「蛆(うじ)の乞食よ目を覚ませ。天の岩戸は開けたぞ。早く真人間に立ち帰れ。・・敗戦国の乞食らよ。早く目を覚ませ・・・」てなふうに、世直しのときが迫っていることを訴えた。
「璽宇」 璽光尊こと長岡良子がはじめた。有力信者の中原姉妹がGHQに出陣したりし、復員軍人らに支持された。平凡社の創業者の下中弥三郎もスポンサーになった。上二つの宗教は「人間宣言」してしまった現人神(天皇)の座の空白を生き神として継承しょうとしたとも考えられる。
「立正佼成会」 ~1948年 庭野日敬・長沼妙佼 創立 杉並和田に大聖堂等 霊友会より独立。布教の武器は先祖供養、妙佼の霊感と日敬の学んだ姓名判断の組み合わせ、そして佼成会のいのち「法座」である。10人から20人が車座になり話し合う会のこと。日蓮系・法華系であり、「南無妙法蓮華経」の題目さえ唱えればいいという単純さは庶民に受け容れやすかった。高度成長時代の新しい都市住民に日蓮系―霊友会、創価学会共々受け容れやすかった。自公連立の前は、立正佼成会は自民党支持の大票田であった。
「霊友会」 1925年久保角太郎と兄嫁小谷喜美 創立 小谷喜美は教祖。シャーマン的能力(霊能者)を身に付けた。信仰のもとを作ったのは西田無学。 体制順応、戦争支持で弾圧無。久保の息子 久保継成が二代目、東大印度哲学科博士課程出のインテリ。若年層の間での人間関係の希薄化のなかで「インナートリップ路線」をとるが、霊友会は現在3分割されてる。
「創価学会」 1937年 一代目会長 牧口常三郎(教育者)が前身「創価教育学会」を設立。二代目会長 戸田城聖(実業家) 三代目 池田大作(野望家?) 日蓮正宗と密接に関係。 日蓮と同じに排他的布教活動 「折伏」(シャクフク)を行う。戦闘性があり「仏法は勝負だ」とか「仏敵」という言葉あり。霊的なものへの信仰は否定、先祖供養の重要性を否定している。信仰と「南無法蓮華経」の題目を唱えることで、豊かな生活への約束をし、高度成長の社会背景もあり、巨大教団へ成長した。立正佼成会系の「法座」にあたる「座談会」が布教の武器ともいえる。三代目、1964年公明党を結成し国立戒壇建立をめざす? グローバル化が進む現在の経済状態では、信仰しても豊かになれない状況がうまれているわけで、こういう時代をいかにこの宗教が乗り切るか、ポスト池田が注目される。
「手かざしの各宗教」下記3宗教
それぞれの新宗教教団は、独自の救済システムを作り上げ、それによって人々を救い、信者を増やしていく。そうした救済システムには特許が与えられるわけでなく、とくに手かざしのような方法には、特別な修行も必要とされない。また教義による裏づけも必要とはされない。
そのため一度手かざしの手法を学び、その力を付けた者は、自分で
勝手に活用できる。大本、そして世界球世教に分裂、分派が多いのも
この手かざしの持つ特徴による。
「世界球世教」 岡田茂吉 開祖 熱海「MOA美術館」目玉、強羅「箱根美術館」も持つ。大本の信者から始まり、神秘体験を経て、1934年「岡田式神霊指圧療法」を開始、日本浄霊療法普及会を経て熱海に日本観音教団を再建する。「浄霊」を再開し、「手かざし」による病気治しは、手から光がでるとして「お光さま」と呼ばれた。自然農法、有機農法の推進者、団体、本も多い。1955年岡田亡くなる。
「神慈秀明会」 小山美秀子1970年 創立 信楽の里の「ミホ・ミュージアム」を持つ。繁華街で「三分間時間を下さい。あなたの健康と幸せを祈らせて下さい。」と三分間「手かざし」をするのです。街頭での「浄霊」積極的にすすめた。岡田の弟子から出発。
「世界真光文明教団」「崇教真光」 1959年岡田光玉 57才にして神の啓示をうけ宗教家に変身。もと軍人、多田建設役員、光開発設立等 事業家だった。伊豆修善寺の山に60m高の主座世界総本山あり。1974年光玉亡くなり、娘が崇教真光を名乗る。「浄霊」を「真光の業(わざ)」と呼ぶ。飛騨高山に50m高の主座黄金神殿を持つ。真光系の教団は組織活動への参加を強く求めず、若者を多く集めている。
「PL教団」 初代教祖 御木徳一 前身「ひとのみち教団」1931年立上げ。いいがかりに近い弾圧で教祖の徳一は保釈中亡くなる。戦後息子徳光は出所後パーフェクト・リバティPL教団を立教する。基本的教義「21ヶ条の処世訓」(PL処世訓(ミオシエ))があり、「一、人生は芸術である」「二、人の人生は自己表現である」「三、自己は神の表現である」等々。富田林の本部に180m高の「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」が立つ。花火もすごいし、野球も芸術!?。病を「みしらせ」ととらえ、担当医師より原因、対処の「みおしめ」があるという、PL病院を持つ。オウム事件後の宗教法人法改正の財産提示を拒否している。
「真如苑」 1935年伊藤真乗(開祖) 立川飛行機社員をやめ、妻 友司(霊能者)と前身「まこと教団」を創立。「まこと教団リンチ事件」で痛手を受けるが、1951年「真如苑」と改名し現在№スリーの新宗教となる。真乗は真言宗醍醐派で得度、真言密教系、「涅槃経」を重視。霊的な能力の開発を目的にとして、教団独自の秘儀として位置づけられる「接心」という修行がある。接心はシャーマニズム的な神憑りというよりも、カウンセリングに近い。沢口靖子、高橋恵子、松本伊予、大場久美子等のタレントも信者。日産自動車の村山工場跡地を買い取り話題。2007年「真乗―心に仏を刻む」本がベストセラーになった。立川駅北に2006年応現院という本部を開設。非日常的な雰囲気はなく、日常の大学や病院風であり、日常的な宗教という感。世直し的な側面はいっさい見られない。比較的穏健、癒しを与えてくれる、集団行動を要求しない。それで伸びたのか。子供が死んだり、跡取りでもめたりしてが三女真聡が後継者。
「GLA」 高橋信次 教祖1968年立教 教団の外にも信奉者が多い。高電工業㈱の経営者と二足のわらじ。兄弟姉妹が創価学会で折伏されたが、自分で教祖となる。霊的な現象への関心を特徴と厳格な宗教でなく、スピリチュアルカウンセラーの江原敬之と似ている。
人間の心は弱い、だから宗教は必要なのでしょうか? 心を豊かにする音楽もあり、絵もあり、演劇、映画も、小説もあり・・科学としての心理学も精神医学もある。けど。・・なのでしょうか?(筆者記)
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