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「日本の思想」丸山真男 著  岩波新書版  読書ノート

◎裏表紙より「…新しい時代の思想を創造するために、いかなる方法意識が必要であるかを問う。」
主要点 抜粋
⑴ 日本の思想
・「…違った立場が共通の理性の上に対決し、その対決のなかから新たな発展を生みだしていく、」べきだがとても少ない。「…キリシタン・宣教師自身が驚嘆するほどの速度で勢いをえて、神学的理解が高度に達したものが、外的な条件で急激に力を失い、思想史の流れからはほとんど全く姿を没してしまう… 自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当たる思想的伝統は、わが国には形成されなかった…まずその現実を見すえて、そこから出発するほかはなかろう。」
・「しばしば、儒教や仏教や、それらと習合して発達した新道や、あるいは江戸時代の国学などが伝統思想と呼ばれて、明治以後におびただしく流入したヨーロッパ思想と対比される。…外来思想を摂取し、それが色々な形で私達の生活様式や意識のなかにとりこまれ、文化に消しがたい刻印を押したと言う点では、ヨーロッパ産の思想もすでに「伝統化」している。…蓑田胸喜の激越な「思想闘争」すらW・ヴントやA・ローゼンブルクの援用で埋められていた。…もし何百年の背景を持つ「伝統」思想が本当に遺産として伝統化していたならば、そのようにたわいもなく「欧化」の怒涛に呑み込まれることがどうして起こりえたであろう。」☆永井荷風はちがうよ!
・「近代日本人の意識や発想がハイカラな外装のかげにどんなに深く無常感や『もののあわれ』や固有信仰の幽冥観や儒教的倫理やによって規定されているかは、すでに多くの文学者や歴史家によって指摘されてきた。むしろ過去は自覚的に対象化されて現在の中に『止揚』(矛盾する諸要素を,対立と闘争 の過程を通じて発展的に統一すること) されていないからこそ、それはいわば背後からなかにすべりこむのである。」☆簡単に転向につながる。「過去は過去として自覚的に現在と向きあわずに、傍らにおしやられ、あるいは下に沈降して意識から消え『忘却』されるので、それは時あって突如として『思い出』として噴出することになる」
・「むしろちがったカルチュアの精神的作品を理解するときに、まずそれを徹底的に自己と異なるものと措定してこれに対面するという心構えの希薄さ、その意味でのもの分りの良さから生まれる安易な接合の『伝統』が、かえって何ものをも伝統化しないという点が大事なのである。とくに明治以後ドンランな知的好奇心と頭の回転のす早さ・で外国文化を吸収してきた『伝統』によって、現代の知識層には、少なくとも思想にかんする限り、『知られざるもの』への感覚がほとんどなくなってように見える。・過敏症と不感症が逆説的に結合するのである。たとえば西欧やアメリカの知的世界で、今日でも民主主義の基本理念とか、民主主義の基礎づけとかほとんど何百年以来のテーマが繰り返し『問わ』れ、真正面から議論されている状況は、戦後数年で、『民主主義』が『もう分かってるよ』という雰囲気であしらわれている日本と、驚くべき対照をなしている。」
【逆説や反語の機能転換】― 「…こうして『マルクス主義的』知識層にたいするスマートな逆説家と庶民の『伝統的』実感― もしくはそれに寝そべるマス・コミとの奇妙な同盟が成立し、『進歩的知識人』は両者にはさみうちになって孤立するという事態がうまれる。・すくなくともそうした『反逆』的姿勢が現実にはしばしば大勢順応として機能するのは政治的条件を一応別として、上のような日本の精神状況と深くかかわっている。」
・「周知のように、本居宣長は日本の儒仏以前の『固有信仰』の思考と感覚を学問的に復元しようとした…『神道』は・その時代時代に有力な宗教と『習合』してその教義的内容を埋めて来た。この神道の『無限抱擁』性と思想的雑居性が、さきにのべた日本の思想的『伝統』を集約的に表現していること  
はいうまでもなかろう。絶対者(☆神・キリスト)がなく独自な仕方で世界を論理的規範的に整序する『道』が形成されなかったからこそ、それは外来イデオロギーの感染にたいして無装備だったのであり…」
【近代日本の機軸としての『国體』の創出】―☆伊藤博文は考えた…。明治21年6月博文は述べた
「『…欧州においては憲法政治の萌せる事千余年、独り人民のこの制度に習熟せるのみならず、また宗教なるものありて之が機軸となし、深く人心に浸潤して、人心此れに帰一せり。然るに我が国にありては宗教なるものが微弱にして、一も国家の機軸たるべきものなし。…我国に在りて機軸とすべきは、独り皇室あるのみ。・君権を機軸とし、・是れ起案の大綱とす。』・ヨーロッパ文化千年にわたる『機軸』をなして来たキリスト教の精神的代用品をも兼ねるという巨大な使命が託されたわけである。」
【「国體」における臣民の無限責任】― 「『国體』という名でよばれた非宗教的宗教がどのように魔術的な力をふるったかという痛切な感覚は、純粋な戦後の世代にはもはやないし、またその『魔術』にすっぽりはまってその中で、『思想の自由』を享受していた古い世代にもともととない。…『限界状況』においては直ちにおそるべき呪縛力を露わしたのである。」
・「難波大助の摂政官狙撃事件・☆連座で辞任・このような茫としてはてしない責任の負い方、それをむしろ当然とする無形の社会的圧力は、このドイツ人教授の眼には全く異様な光景として映ったようである。」また『御真影』を守ろうと焼死した校長・「ここに伏在する問題は近代日本の『精神』にも『機構』にもけっして無縁でなく、また例外的でもないというのである。」☆昼のワイドショーで多。子の罪?
【「国體」の精神内面への浸透性】― 「しかもこれほど臣民の無限責任によって支えられた『国體』はイデオロギー的にはあの『固有信仰』以来の無限定的な抱擁性を継承していた。国體を特定の『学説』や『定義』で論理化することは、ただちにそれをイデオロギー的に限定し相対化する意味をもつからして、慎重に避けられた。…思想犯保護観察法へと『進化』してゆく過程はまさに国體が、『思想』問題にたいして外部行動の規制・をこえて、精神的『機軸』としての無制限な内面的同質化の機能を露呈してゆく過程でもあった。それは世界史的にも、国家権力が近代自由主義の前提であった内部と外部、私的自治と国家的機構の二元論をふみこえて、正統的イデオロギーへの『忠誠』を積極的に要請する傾向が露骨になり始めた時期と一致していた。」☆国體の本義は首脳部でもあいまい。☆空気
【天皇制における無責任の体系】― 「…『輔弼』(ホヒツ)とはつまるところ、統治の唯一の正統性の源泉である天皇の意思を推しはかると同時に天皇への助言を通じてその意思に具体的内容を与えることにほかならない。先に述べた無限責任の厳しい倫理は、このメカニズムにおいては巨大な無責任の可能性への転落の可能性をつねに内包している。」
【近代日本における制度と共同体】―「…強靭な貴族的伝統や・や・や・国家権力に対する社会的バリケードがいかに本来脆弱であったかがわかる。…『隣保共助の旧慣』とによって成立つ部落共同体は、その内部で個人の析出を許さず、…伝統的人間関係の『模範』であり、『国體』の最終の『細胞』をなして来た。それは頂点の『国體』と対応して超モダンな『全体主義』も、話し合いの『民主主義』も和気あいあいの『平和主義』も一切のイデオロギーが本来そこに包摂され、(ていた)…」

Ⅱ 近代日本の思想と文学 省略
Ⅲ 思想のあり方について
☆タコツボ学者「ヨーロッパの学問の根底にあって、学問を支えている思想あるいは文化から切り離され独立に分化し、技術化された学問のワクのなかに、はじめから学者がスッポリはまってしまった。」
 「共通の基盤がない論争」「インテリという等質的な機能で、むすばれた層が本来存在しないということは…タコツボ化している。」タコツボ型社会⇒「組織における隠語の発生と偏見の沈殿」
Ⅳ 「である」ことと「する」こと
【権利の上にねむる者】― 「この規定の根拠には、権利の上に長くねむっている者は民法の保護に値しないという趣旨…。「憲法12条、97条・読みかえると『国民はいまや主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目覚めてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ』という警告になっている…。それこそナポレオン三世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまで、最近百年の西欧民主主義の血塗られた道程がさし示している歴史的教訓にほかならないのです。」☆上から与えられた民主主義じゃだめでしょか?
「つまり自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義であるような、そうした性格を本質的に持っています。民主主義的思考とは、定義や結論よりもプロセスを重視することだといわれることの、もっとも内奥の意味がそこにあるわけです。」
【制度の建て前だからの判断】―「建て前だけからの判断する考え方は・『である』原理のバリエーション。…およそタブーによって民主主義を『護持』しようとするのは・倒錯。」
・「日本では・歴史的にいっても、たいていの近代的な制度はあらかじめ出来上がったものとして持ち込まれ、そのワクにしたがって私たちの生活が規制されてきたわけです。それでおのずから、まず先に法律や制度の建て前があってそれが生活の中に降りて来るという実感が強く根を張っていて、その逆に、私たちの生活と経験を通じて一定の法や制度の設立を要求しまたはそれらを改めていくという発想は容易にひろがらない。」☆何故その法があるか考える、変な法なら真っ当な法にする。
 ・「民主主義をになう市民の大部分は日常生活では政治以外の職業に従事しているわけです。とすれば、民主主義はやや逆説的な表現になりますが、非政治的な市民の政治的関心によって、また「政界」以外の領域からの政治的発言によってはじめて支えられている」 「在家信者」

 ・「日本の近代の『宿命的』な混乱は、一方で『する』価値が猛烈な勢いで浸透しながら、他方では強靭に『である』価値が根を張りそのうえ、『する』原理を建て前とする組織が、しばしば『である』社会のモラルによってセメント化されてきたところに発しているわけなのです。」
 ・「現代日本の知的世界に切実に不足し、もっとも要求されるのは、ラディカル(根底的)な精神的貴族主義と内面的に結びつくことではないかと。」☆精神的貴族主義=インテリゲンチャーのこと?

☆長い文、読んで頂いてありがとうございます。この世の中で、長い歴史から築き上げられた思想・知的営為が、考えることをしな  いポピュリズムに屈しないことを、祈りるばかりです。この選挙結果を見て・・・
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こんにちは!

【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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プロフィール

高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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