巨大新聞による新聞史上最悪の不祥事
読売新聞は、1874年創刊で、140年の歴史を有する日本最大の新聞であり、世界最多の発行部数を有する。
その読売新聞が、5月22日に、「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中、平日夜」と題し、前川喜平前文部科学省事務次官(以下、「前川氏」)が、新宿の「出会い系バー」に頻繁に出入りし、代金交渉までして売春の客となっていたかのように報じる記事を大々的に報じた(以下、「読売記事」)ことに対して、各方面から激しい批判が行われている。
読売記事は、5月25日、前川氏が、記者会見を開き、加計学園の獣医学部の新設の認可に関して、「総理のご意向」などと記された記録文書が「確実に存在している。」「公平公正であるべき行政のあり方がゆがめられた。」などと発言する3日前に出されたものだった。
前川氏は、記者会見で、出会い系バーへの出入りについて質問され、出入りを認めた上で「女性の貧困問題の調査のためだった。」と説明したが、菅義偉官房長官は、その翌日の5月26日の定例会見で、前川氏の記者会見での発言に関して、加計学園の獣医学部新設について、「首相の意向」「行政が歪められたこと」を強く否定した上、記者の質問に答えて、女性の貧困問題の調査のために、いわゆる出会い系バーに出入りし、かつ、女性に小遣いまで与えたということだが、そこはさすがに強い違和感を覚えたし、多くの方もそうではないか。常識的に言って、教育行政の最高の責任者がそうした店に出入りし小遣いを渡すことは到底考えられない。などと発言した。
読売記事と官房長官発言を受けて、前川氏に対しては、教育行政のトップでありながら、出会い系バーに出入りし、援助交際の相手になっていたことへの批判が高まり、加計学園問題に関する前川氏の記者会見での発言の影響力を大きく減殺する効果を生じさせた。
一方、会見当日の5月25日発売号で、前川氏の独占インタビューを掲載し、同氏が記者会見で発言する内容を事前に詳細に報じていた「週刊文春」は、翌週の6月1日発売号で、「出会い系バー相手女性」と題する記事を掲載した(以下、「文春記事」)。
それによると、前川氏が出会い系バーや店外で頻繁に会っていた女性は、生活や就職の相談に乗ってもらっていたと述べ、「私は前川さんに救われた。」と話しているとのことである。読売新聞の記事で書かれているのとは真反対に、前川氏は、出会い系バーに出入りする悩みを抱えた女性達の「足長おじさん」的な存在だったもので、売春や援助交際などは全くなかったとのことだ。しかも、この女性は、前川氏の出会い系バーへの出入りのことが批判されているテレビを見て「これは前川さん、かわいそうすぎるな」と思い父と話した上で前川氏のことを話すことにしたとのことである。文春記事の内容が事実であれば、出会い系バーへの出入りの目的等についての前川氏の説明の真実性が裏付けられたことになる。
読売記事の掲載は、動機・目的が、時の政権を擁護する政治的目的としか考えられないこと、記事の内容が客観的事実に反していること、そのような不当な内容の記事の掲載が組織的に決定されたと考えられること、という3点から、過去に例のない「新聞史上最悪の不祥事」と言わざるを得ない。中略
この記事を読んだ多くの人が、「前川氏は、出会い系バーに頻繁に出入りし、値段の交渉をした上で女性を連れ出して売春や援助交際の相手になっていた」と思い、前川氏が「女性の貧困の調査の一環」と説明していることに対して、「見え透いた弁解で、そのような嘘をつく人間の話はすべて信用できない。」と感じたはずだ。
読売記事では、前川氏の「出会い系バー」への出入りに対する「不適切な行動に対し、批判が上がる」という否定的評価(ア)が、その後の記述で根拠づけられるという構成になっているが、記事の中で、前川氏の行為そのものを報じているのは (エ)と(オ)だけであり、それ以外は、出会い系バーの実態等に関する一般論だ。
中略
前川氏が頻繁に出会い系バーに出入りしていたことだけでは、売春、援助交際に関わっていたかのような“推認”は働かない。このようなことは、読売新聞の日頃からの取材で、十分に認識し得た事実のはずなのに、なぜ、そのような事実に反する“推認”を持ち出したのかが問題だ。
しかも、前川氏が出入りしていた出会い系バー周辺者を取材して報じているのは、週刊文春だけではない。週刊FLASH6月13日号の記事でも、前川氏と「店外交際」した複数の女性を取材し、「お小遣いを渡されただけで、大人のおつき合いはなし」との証言が書かれている。同記事は、前川氏の独占インタビューを掲載し、その証言価値を維持しようとする動機がある週刊文春とは異なり、何の利害関係もない光文社が発行する週刊誌の記事である。
読売新聞も、前川氏が出入りしていた出会い系バーの取材をして、「関係者証言」をとったのであれば、上記のような実態が把握できなかったとは考えられない。
読売記事の問題に関する二つの可能性
そこで、読売記事については、二つの可能性が考えられる。一つは、官邸サイドから前川氏が出会い系バーに出入りしていたことの情報を入手しただけで、何の取材も行わずに(「関係者証言」をでっち上げて)記事にした可能性である。そして、もう一つは、読売記事のとおり、関係者取材をして、前川氏と女性達の関係や売春、援助交際を目的とするものではなかったことを把握していたが、それでは、前川氏が「不適切」「社会的批判を受ける」とする理由がなくなるので、前川氏が「交渉」「値段の交渉」を行っていたという曖昧な表現で(必ずしも「売春、援助交際の交渉」を意味するものではなく、「お小遣いの金額についての話」も「交渉」だと弁解する余地を残して)、前川氏が売春や援助交際に関わっていたかのような「印象」や「事実認識」を与えようとした可能性である。
前者であれば、「関係者証言のねつ造」という、新聞として絶対に許されない重大な問題となる。後者であっても、前川氏が、売春、援助交際の相手方になっていた事実がないことは把握していながら、「交渉」「値段の交渉」という言葉で、その事実があるかのような露骨に誤った印象を与えたものであり、それも、新聞報道として到底許されることではない。
結局のところ、読売記事が読者に印象づけようとしている前川氏の「売春、援助交際への関わり」については、“推認”にも“直接事実”にも重大な問題があると言わざるを得ない。
読売記事が、新聞社において組織的に決定された疑い
今回の読売記事は、社会部が独自にネタをつかんで、裏付け取材して書いた記事が、たまたま大きく取り上げられたとは到底思えない。昨年秋、文科省次官在任中の前川氏が出会い系バーへの出入りに関して杉田官房副長官から厳重注意を受けた事実があることからしても、何らかの形で、官邸サイドからの情報提供が行われたことが契機となった可能性が高く、しかも、既に述べたように、社会部の通常の取材の結果に基づいた記事とは考えられない点が多々ある。政治的な意図によって記事が作成されたと考えられることからも、少なくとも、社会部と政治部の両方が関わって掲載された記事であるとの合理的な推測が可能である。
しかも、読売記事の内容や、それによって読者に与える事実認識が誤ったものであったことは、結果的に文春記事等によって明らかになったものであるが、もともと、記事の内容自体にも明らかに不可解な点があった。中略
記事に関わった記者、デスク等には、このような不可解な記事を紙面に載せることについて、新聞記者として相当大きな心理的抵抗があったはずである。しかも、読売新聞は、朝日新聞不祥事などを踏まえて、特ダネの危うさを事前に検証する機関も作っているとのことだ。文面上も問題がある今回の記事に対して、チェックが働かなかったということも考えにくい。
今回の読売記事の問題は、担当者の取材不足や迂闊さ、チェック不足等の問題とは考えられない。記事に重大な問題があることを承知の上で、敢えて記事化され掲載された可能性が高い。
組織内でこのようなことが起きるのは、通常、何らかの形で組織の上層部の意向が働いた場合である。読売新聞の上層部の方針として、通常であれば絶対に掲載されない記事を、しかも、5月22日という前川氏が政権に打撃を与える発言を行う直前のタイミングで、大々的に報じる決定がされたのではないか。
読売新聞は死んだに等しい
今回、読売新聞が行ったことは、安倍政権を擁護する政治的目的で、政権に打撃を与える発言をすることが予想される個人の人格非難のため、証言をでっち上げたか、事実に反することを認識しつつ印象操作を行ったか、いずれにしても、政治権力と報道・言論機関の関係についての最低限のモラルを逸脱した到底許容できない行為である。しかも、そのような記事掲載は、上層部が関与して組織的に決定された疑いが強く、まさに、読売新聞社という組織の重大な不祥事である。
かつて、TBSのスタッフがオウム真理教幹部に坂本弁護士のインタビュービデオを見せたことが同弁護士一家の殺害につながった問題で、TBSは、情報源の秘匿というジャーナリズムの原則に反し、報道倫理を大きく逸脱するものとして批判された。この問題に関して、当時、TBSの夜の看板報道番組『NEWS23』のキャスターを務めていた筑紫哲也氏が、同番組で「TBSは今日、死んだに等しいと思います。」と発言した。
もはや「言論機関」とは到底言えない、単なる“政権の広報機関”になり下がってしまった読売新聞の今回の不祥事は、オウム真理教事件でのTBSの問題以上に、深刻かつ重大である。
ところが、現時点では、今回の記事の問題に対する読売新聞の対応は、原口社会部長の前記コメントからも明らかなように、「不祥事」という認識すらなく、反省・謝罪の姿勢は全く見えない。このような事態は、心ある読売新聞の記者、ジャーナリストとしての矜持を持って取材・報道をしている記者にとって堪え難いもののはずだ。
読売新聞のすべての記者は、今回の記事を、改めて熟読し、それがいかに新聞の報道の倫理を逸脱したものか、報道言論機関として許すべからざるものかを再認識し、時の政権という権力に露骨に政治的に利用され、そのような報道に及ぶ現状にある読売新聞をどのようにして変えていくのか、全社的な議論を行っていくべきだ。
「テロ等準備罪」という名称の共謀罪の法案の国会審議が最終局面を迎え、捜査機関の運用によっては、国民に対する重大な権利侵害を伴う権力の暴走が懸念される中、国家権力に対する監視をするメディアの役割が一層重要になっている。そのような状況の中で、逆に、国家権力に加担する方向で、倫理を逸脱した報道を行うことを厭わない巨大新聞が存在することは、日本社会にとって極めて危険だ。それは、凶悪・重大な事件を引き起こして日本社会に脅威を与えたオウム真理教に「結果的に加担してしまった」かつてのTBSの比ではない。
今回の問題に対して、真摯な反省・謝罪と再発防止の努力が行われない限り、“読売新聞は死んだに等しい”と言わざるを得ない。
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