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「昭和天皇の戦争」 山田朗 著  岩波書店  読書ノート

◎表紙裏紹介文より 「昭和天皇研究の第一人者が従来の知見と照らし合わせながら『昭和天皇実録』を読み解き、『大元帥』としてアジア太平洋戦争を指導・推進した天皇の実像を明らかにする」

・「はじめに」より 本書の目的 「昭和天皇の公式伝記である宮内庁編纂『昭和天皇実録』全50巻は2014年9月9日に一般公開された。・天皇は、1937年の盧溝橋事件から始まった日中戦争について、陸軍をはじめ皆がその見通しを誤り、それが現在(1940年10月)まで響いていると語ったのである。これは、泥沼化した日中戦争への行き詰まり感と、事態を打開できない軍部への不信感を率直に表明したものと言ってよいであろう。『実録』には、このような天皇の内面の吐露ともいえるような記述もあり、記録として残すべきものを残しているといえる。」☆しかし、「…戦況につき奏上を受けられる。とあるだけである。『実録』においては、決戦を強く要求する天皇の発言は、完全に消されてしまっている。・・・天皇の戦争・戦闘に対する積極的発言とみなされるものは、極めて系統的に消されてしまっているのである」

・「…慎重であるかに見えた天皇が、実際に戦闘が起きるとその成功を賞賛したり、戦略的価値がありと見るや前言を翻して積極的作戦を促すなど、急角度に言動を変化させ、作戦行動に大きな影響を与えたことについて検証する。・・天皇平和主義者論は、『実録』においても拡大生産されているが、問題は、天皇の『平和主義』の中身を考察することである。・・また『実録』で消されてしまったことを浮き彫りにすることで、書かれなかったことから、逆に歴史の真実を読み取りたい。」
・「従来昭和天皇は、国策決定のための御前会議においては若干の例外を除いては発言せず、大本営会議では活発に発言していたことが分かっているが、…政府側から次のように要請されたことが『実録』に記されている。【・・・天皇にはご臨席のみにてご発言のないことを願う旨の言上を受けられる】 この大本営会議に準じる研究会・報告会においては、『謀略』についての報告もなされていたことが、『実録』に記されている。」
・「『独白録』の記述を全面的に採用して、例外的とも言える叙述」以下【・・・今回の田中(義一、総理大臣)の奏上はこれまでの説明とは大きく相違することから、天皇は強き語気にてその齟齬を詰問され、さらに辞表提出の意を以て責任を明らかにすることを求められる。…】☆史実として知れ渡ってしまっているから、宮内庁仕方なく書く!
・『独白録』より、『この事件(田中儀一総辞職)あって以来、私は内閣の上奏する所のものは、たとい自分が反対の意見を持っていても裁可を与えることに決心した』 と記されている。自分の意に添わなくても裁可を与えた最初の事例として掲げられている。だが、天皇の真意・願望は別として、こうした天皇の現状追認の姿勢は、状況をリードしてきた軍部とりわけ関東軍の増長をまねき、1933年にいたって熱河侵攻という形で、再び天皇を憂慮させることになる。…政府の意向を確かめる前に、熱河作戦を裁可してしまったのである。…政・戦略の統合者としての天皇に、いったん発令した命令は天皇といえども容易に取り消すことができないという深刻な教訓を与えた。

・2.26事件 「天皇は終始一貫して、『叛軍討伐』を強く主張している。・・・事実、伏見宮は、この日早朝、加藤寛治海軍大将と真崎甚三郎陸軍大将の申し入れを受け、彼らの(2.26首謀者)傀儡となって天皇に進言にやってきたのである。…長老格の皇族が動きはじめたのは、天皇にとって大きな脅威であったことは間違いない。・・・昭和天皇にとって2.26事件が、長くトラウマとして残ったことも『実録』から分かる。」☆三島由紀夫と2.26事件・松本健一解釈
・「急激な膨張と欧米諸国を刺激する過度なやり方には深い憂慮の念を抱いた天皇であったが、大陸における権益拡大と国威発揚という事自体は何ら否定するものでなかったことは、『実録』の叙述において注意深く読めば浮き彫りになってくるように思われる。」
・「戦争指導・作戦指導の確立-日中戦争期(1937~40年)  1937年7/7盧溝橋事件勃発
・「中国との衝突が不可避であると天皇が判断していたこと、そして、天皇がやはりソ連の動きを第一に心配していたことが分かる。・・・中国問題を契機として、昭和天皇は、政・戦略の統合を図るためには御前会議の開催が必要だと考えていた。・・・西園寺は繰り返し『どこまでも君権に瑕(キズ)がつかないように』と強調し、天皇が前面に立たないように、天皇の発言がそのまま製作決定とされないように、と重ねて釘をさした。」
・「ここで注目すべきことは、…むしろ、みずから御前会議の開催を言い出したり、発言すべきか否か迷ったという事は、天皇が政・戦略の統一にイニシアティブを発揮した方がいいのではないかと揺れ動いたことを示している。」
・「軍部人事への天皇の介入――「…『実録』には、陸軍の山下奉文(皇道派)と石原莞爾の人事に天皇が強い不満を表明したことが記されている」この人事「天皇が容易に許さなかったことが分かる」
・張鼓峰事件 「天皇があれほど強く反対した武力行使を、第19師団は独断で実施してしまった・・・、またしても、天皇の結果優先の論理により独断専行の戦争挑発者は、英雄になったのである。この結果優先の天皇の豹変については、『実録』は記していない。」
・「張鼓峰事件と宜昌作戦に見られるように、当初は現地軍の行動拡大を強く差し止めていたり、消極的であった天皇が、実際に戦闘が起きるとその成功を賞賛したり、戦略的価値ありと見るや前言を翻して積極的作戦を促すなど、急角度に言動を変化させ、作戦行動に大きな影響を与えたことについては、『実録』は天皇の具体的な言動には触れないか、触れても慎重論のみにするなど、天皇の積極面は消されていることがわかる。」
・「…昭和天皇が、機会さえあれば、領土を拡張することが君主としての重要な任務であると認識していたことを示す」
・「『南方作戦計画ハ出来タカ』という天皇の発言は・・・天皇の下問は、陸軍に対する南方作戦・占領地統治開始命令に等しい効果をもたらし、陸軍中央部の南進膨張意欲をさらにかきたてたのである。」
・「対英米戦への躊躇―― 9/6の御前会議はきわめて慎重が11/5の同会議には、統帥部の開戦論に理解を示す、この2か月間に昭和天皇を戦争に傾斜させたものは何か。主戦論の中心である参謀本部作戦課(課長・服部卓四郎)は天皇説得」へと励む。統帥部の考え『持久戦トナリマシタ場合ノ作戦ハ極メテ困難デゴザイマスガ・・・』 「天皇の軍事認識の高さを示している。」・・・「統帥部による戦争指導の見通しと具体的な作戦計画が出そろうにしたがって、天皇も次第に開戦論に傾斜していった。」 『戦争終結の場合の手段を初めより充分考究し置くの要』ありという天皇の指摘は、戦争指導の基本方針を確立せよという政府・統帥部への強い要求でもある。この点をあいまいのままにしたままでは、天皇も最終的に戦争に踏み切れなかったのである」
・「緒戦の勝利―― 杉山参謀総長は天皇の意見を参謀本部の部長会議において紹介し、・・・大元帥としての天皇は緒戦の戦果に浮かれてばかりいたわけではなく、次に打つ外交戦略についての検討を早々と指示している」
・フィリピン・パターン攻略、「『杉山メモ』によれば、・・天皇はその後もしばしば早期攻略を促した・・・この件についても『実録』は記していない、・・作戦に対して積極的な姿勢を見せる発言はほとんど記していない」が例外に『実録』で、1942/5/8『・・・天皇は、かかる場合は敵を全滅すべき旨を仰せになる。』とある。
・「悪化する戦況と・・戦争指導と敗戦(1942~45年)――1942/8月以降、東部ニューギニアとガダルカナル島での攻防戦が激化すると、天皇は非常に積極的に作戦事項について下問するようになる。・・・天皇に下問(陸軍航空を出せないのか)を受けて『恐懼』した陸軍統率部首脳の主導で決定されたのである。・天皇が作戦を変えさせた典型的な事例である。『実録』には、天皇が作戦指導の主導性を発揮した11月5日の天皇と参謀総長のやり取りと翌日の陸軍統帥部の決定について全く記述していない」
・「ガ島確保に疑念をもった天皇は、制空権を確保できない海軍にもいらだち始めた。・・・連合艦隊司令部は、一度失敗した作戦に固執して、さらに傷口をひろげてしまったのである。天皇は眼前の作戦に没入することなく、比較的冷静に戦況を検討していたからこそ、『注意を要す』との警告ができたのである。天皇が過去の海戦史からよく学んでいた証拠である。…・・・天皇は、統帥部に対して、撤退と新作戦を速やかに決定するよう命じたのである。・・・ガ島の泥沼化した戦いによって浮き足だった統帥部に対して、天皇は、軍を統率する大元帥として、『敵撃滅』『戦争終結』という本来の大目標をあらためて提示した」☆大統領としての指示・統治ですよね、これ。 

・3/5大本営会議-参加者書く『・陛下からの御下問・ご注意はみな要点をついたものばかりで』 国策決定のための御前会議においては、『沈黙』が常であった天皇も、大元帥として参加する大本営会議では、一転して活発だったことがわかる。」
・1943年6月の「アッツ島『玉砕』以降、天皇は日本軍の『勇戦』を称揚しつつも、必ずと言ってよいほど『決戦』『前進』『戦力拡充』を促すようになる。・『何ントカシテ米ヲ叩キツケネバナラヌ』と決戦を求めている」「ソ連の動向やヨーロッパの戦況も天皇は見逃してはいない。」☆当時日本での最も世界・日本・軍事情勢に精通して、指導していたのが天皇?
・「戦況の悪化-軍事情報――・・・ガ島の攻防戦以来、実に精力的に戦争指導・作戦指導に打ち込んできた天皇も、疲労の蓄積と戦況の悪化のため、この時期神経過敏になり、輸送船団一つの動きについてみずからその企図を推理して統帥部に注意を与えていた。」
・「天皇が繰り返し『決戦』を促してから、ちょうど一年、主導権を完全に米軍に奪われていたものの、ともかくここに乾坤一擲の『決戦』がせまったのである。・・サイパンの喪失は東京空襲につながるという認識を天皇はしていた・・『皇国の興廃』をかけた1944年6/19・20にわたるマリアナ沖海戦は日本海軍の大敗北に終わった。」
・「ここでは、一時的ではあれ、天皇に期待を持たせた台湾沖航空戦とそれに続くフィリピン沖海戦を対象にして、戦況奏上の実態について検証する- 「…また空襲状況は、戦略要点ごとに来週敵機の機種・機数、被害状況、遊撃状況・戦果が一覧にして示されており詳細をきわめている。報告を見る限り、少なくとも天皇は日本軍の損害については熟知していたはずである。・・・『大本営の発表は兎も角、統帥部としては戦況は、たとい最悪なものでも包まず又遅滞なく天皇にはご報告申し上ておったので』(木戸幸一)・・天皇は自軍の損害についてはほぼ正確な情報を提供されていた。しかし、戦果の報告は、大本営の判定そのものが過大であることが多く、・・・戦況奏上の文面からは日本軍の損害も多いが、敗北したようには感じられない。」・・「結論的に言えば、台湾沖航空戦の幻の大戦果は、戦闘に参加した現地航空部隊からの報告自体が錯誤に基づく膨大かつ曖昧なものであり(搭乗員の練度低下、気象条件で確認できず)、それが大本営においても厳密な戦果判定審査を経ないままに戦果として認定され、天皇に奏上された・・・大本営は虚報を意図的に捏造したというよりも、誤報と希望的観測によって自己欺瞞に陥ったのである。」
・「天皇も、フィリピン沖海戦において1944/10/25より始まったとされる神風特攻隊による体当たり攻撃には、大きな衝撃を受けたようである。・・・10/26における天皇による『よくやった』という発言は、『実録』には記されていないが、前線部隊に伝えられ、さらなる特攻作戦を強行させる重要な要因の一つとなった」
・1945/2/14『近衛上奏文』・『…勝利の見込みのなき戦争をこれ以上継続することは、全く共産党の手に乗るものと存じ候。従って国体護持の立場よりすれば、一日も速やかに戦争終結の方途を講ずるべきものと確信仕り候』・・当時の国家指導層のなかでも近衛がもっともリアルに情勢をつかまえていた。彼の結論は至極妥当なものであった。だが結論にいたるプロセスは異様なものであった。」
・「・・・しかし、台湾・沖縄・本土のいずれにせよ、米軍に一大打撃を与えたうえで外交交渉を、というのは統帥部の腹づもりでもある。天皇はまだ、基本的に統帥部の『一撃講和』の方針を支持していたと言える。・・・天皇は、沖縄における反撃に大きな期待をかけていた。・・焦慮のためか、天皇は久々に作戦に直接介入する」
・「だが、沖縄戦緒戦における天皇の言動を考えると、沖縄を守備する第32軍に無理やり攻勢作戦をとらせたのは、明らかに天皇の意志であったが、【大和】の出撃については、むしろ天皇の言葉が利用されたと見たほうがよい。・・沖縄戦は天皇にとって最後の頼みの綱であったと言ってよいであろう」

・「天皇が戦争終結に傾斜するのは、沖縄戦の戦況が挽回不可能であることがはっきりした時点であり、そこでは天皇もいよいよ覚悟せざるをえなかったのである。沖縄本島では、5月4日、第32軍が全力をあげて反攻作戦に踏み切ったが、攻勢は1日で頓挫した。」
・「5/5より少し前の段階で、天皇と木戸内大臣は、戦争終結にともなう武装解除についてかなり突っ込んだ話し合いをしたようである。・・・最終的には天皇が終戦の『聖断』を下すようにもっていくというシナリォは、天皇側近の宮中グループで固められつつあった。・・沖縄戦以前の段階で考えられていた。」
・6/8御前会議では、・本土決戦方針があらためて確認。6/22天皇『戦争終結について努力するよう』と発言
・6/3,4 侍従武官の大部分を九十九里浜に派遣して実状を視察させる。日本軍の戦力・防備について天皇はまとまった認識を得た。・・・「土壇場になって近衛文麿を特使としてソ連に派遣してその仲介にすがろうとしたことも、かえって決断を遅らせた。・・・軍による一撃論(決戦後講和)も『一億玉砕』に傾斜しつつあった本土決戦準備も、あくまで天皇が支持をあたえていればこそ存立し得た。大元帥・天皇の信頼を失い、軍部の継戦意欲は急速にしぼんだ。
・7/26ポツダム宣言が出されても、いまだ本土決戦派の動向を恐れて決断がつかず、原爆投下とソ連参戦という完全に万策尽きた段階で『聖断』シナリオは実行されたのである。
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【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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プロフィール

高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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