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「不死身の特攻兵」-軍神はなぜ上官に反抗したか- 鴻上尚史 著   読書ノート

◎表紙裏に『゛いのち゛を消費する 日本型組織に立ち向かうには』とある。『失敗の本質』(日本軍の組織論的研究)、『日本型組織の病を考える』(村木厚子著) と通じる、組織が作ってしまう空気=世間と、どう対処すべきか!

・「海軍の第1回の特攻隊は『神風特別攻撃隊』,零戦に250キロ爆弾を装備、そして陸軍の第1回の特攻隊『万朶隊』(バンダタイ)は、九九式双発軽爆撃機に800キロ爆弾をくくりつけて体当たりするものでした。それでも、9回出撃して、体当たりしろという上官の命令に抗(アガナ)い、爆弾を落としても、9回生きて帰ってきた人がいました。名前は佐々木友次。その時、彼は21歳の若者でした。… その存在を知って欲しい・・・」
・「『振武寮』は、死ななかった特攻隊員を、外部に知られないように軟禁する場所・・・地獄」
・佐々友次は「福井県から入植した開拓農家の6男、・石狩郡当別町(村)の出・・・、下士官で伍長、飛行機操縦が好きで、好きで 
・1944昭和19年10/22 海軍最初の特攻隊『神風特別攻撃隊』で関大尉率いる『敷島隊』5機。商船を改装した船体の弱い空母(本空母の1/2)を撃沈することができた。「零戦1機の特攻で空母を撃沈できるという『誤信』が生まれた瞬間だった。…海軍の特攻隊を作ったと言われる大西瀧治郎中将は・・推し進めることを決意した。」このとき陸軍の特攻隊『万朶隊』は機体整備にもたもたしていた。
・海軍特攻隊の第一号の「関大尉は出撃前、新聞記者にインタビューされて・『報道班員、日本もお終いだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて、僕なら体当たりせずとも敵母艦の飛行甲板に500キロ爆弾を命中させる自信がある。…ぼくは天皇陛下とか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。命令とあれば止むをえない。日本が負けたらKA(妻のこと)がアメ公に強姦されるかもしれない。ぼくは彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、素晴らしいだろう?』 この言葉は報道されることはなかった。・・・新聞(朝日)は、敷島隊の『大戦果』を『神鷲の忠烈 万世に燦たり』と報じた」また「悠久の大義に殉ず」の表現も多く使われた。特攻隊のイメージが生まれて来た…
・陸軍最初の特攻隊の『万朶隊』隊長の岩本大尉(佐々木の隊長)は、フィリピンで、特攻行がせまるとき、『「もうひとつ、改装した部分がある。それは爆弾を投下できないようになっていたのを、投下できるようにしたことだ。…この岩本が命が惜しくてしたのではない。じぶんの生命と技術を、最も有意義に使い生かし、出来るだけ多くの敵艦を沈めたいからだ。体当り機は、操縦者を無駄に殺すだけではない。体当たりで、撃沈できる公算は少ないのだ。こんな飛行機や戦術を考えたやつは、航空本部か参謀本部か知らんが、航空の実際を知らないか、よくよく思慮の足らんやつだ。…出撃しても、爆弾を命中させて帰ってこい」・・あきらかに命令違反であり、抗命だった。死刑に相当する発言だった。」 
・儀式好きの富永司令官は11/4岩本隊長以下5名の将校を陸軍最初の特攻隊員(将校)と宴会をするため、マニラに来るよう命じた。敵グラマン戦闘機に襲われて皆戦死。理不尽な戦死。残りの下士官5名の「万朶隊」となる
・11/12陸軍最初の特別攻撃隊の九九双軽、800キロ爆弾を積んだ4機と援護戦闘機の隼が20機・・・、佐々木伍長爆弾を敵艦に落とす。当たった?…そのあとミンダナオ島カラヤン飛行場に着陸(生還)。
・≪割り増しされる「戦果」≫- 「新聞記者は、大本営の発表を元に、勇壮な記事を書き、二日後、内地の各新聞の一面を華々しく掲載された。…田中曹長が体当たりした輸送船は『紅蓮の炎に燃えて撃沈し』、佐々木が突入した戦艦は『ものすごい火焔をあげて、のたうちまわっていた』 軍の検閲があるから、こういう記事を書いていたというより、こういう記事を書いた方が国民が喜んだ、つまり売れたから書いた・・売れるなら売れる方向に記者は熱を入れる。筆を競う。それが次の特攻を用意した。」
・「佐々木はその言葉で、自分の存在が消されていることを実感した。・天皇に報告したことは、絶対に訂正できない」
・11/15 2回目の出撃、友機のトラブル等でまた帰還。特攻の失敗、二階級特進は取りやめ
・佐々木の郷里、当別村はさらに大騒ぎ、この地区の最高の行政官、石狩支庁長の弔問・・・『軍神の家』になるが・
・11/24 3回目の出撃予定が、空襲、万朶隊の奥原伍長戦死。4回目11/28佐々木1機で出撃。但し5機の援護機付き。「カロ―カン飛行場では、佐々木に同情が集まっていた。佐々木を殺すために、無理に出撃させていると思う人が多かった。・・・佐々木は大佐や中佐に向かって反論『私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代り、死ぬまで何度でも行って爆弾を命中させます』軍法会議の処分が当然の発言・・・。援護隊の隊長が佐々木に同情し、わざわざ殺すことはないと、適当な場所までとんで引き返したのだと分かった・・・」また生還。
・12/8 3度目の開戦記念日、短波ラジオで大本営発表を佐々木は聞いた。万朶隊1機が、特攻攻撃で戦艦・を大破炎上させた、佐々木と石渡軍曹の名が挙げられた。佐々木にとり二度目の戦死発表だった。…『2度も戦死を発表されたということは、猿渡参謀長達は、今度こそ自分を戦死させようとして、ますます厳しく出撃させるようになるだろう』と考えた。そして、そう思えば思うほど、『俺は決して死なないぞ』と心の中で歯を食いしばった。」
・大岡昇平の『レイテ戦記』に6行佐々木に関する描写がある。・・・「戦争の悲惨さと上層部の愚かさを冷徹に描写した戦争文学の傑作でありながら、どこか佐々木が『生還したこと』にたいする批判的な匂いがあると感じられる・・」
・司令官の逃亡。全軍特攻。敗戦へ。≪軍神≫は死なねばならない⇒殺害命令があったが、生き延びた。 
・帰国の途・・・「1/18、佐々木ら復員部隊は・・行進していると、みじめな姿をしていた、彼ら彼女ら(群集)は、復員軍人の列に向かって石を投げ始めた。『日本が負けたのは貴様らのせいだぞ!戦に負けて、よくも帰ってきたな。恥知らず!捕虜になるなら、なぜ死なないのか!』

・故郷で盛大な自分の葬式が2度もあった…その故郷に1946昭和21年1/21 雪積る当別村の生家に戻った。
・「佐々木は結婚した後も飛行機に乗ることを考え続けた。が、家業である農業を継ぐのは佐々木しかいなかった。・大空への憧れを持ちながら、妻と共に黙々と実家の農業を続けた。経済的には苦しかったが、当別の地でなんとか4人の子供を育て上げた。・9回生き延びた陸軍第1回特攻隊員は、戦後、北海道の大地で生活を続けた。」
・2015年鴻上さんとのインタビューで鴻上さん「何度も何度も、佐々木友次さんの強さの秘密を聞きました。・・・いろいろな要素、『岩本大尉の命令』や『父親の言葉』や『先祖や仏様』や『母親』や『飛ぶことが大好き』という想いが、9回の出撃で9回の生還という奇跡を生んだのでしょう。・・しかし思います。『万朶隊』の中で最年少の21歳の若者が、体当たりの命令に背き、けれど逃げずに戦い、生き続けた姿勢は、『戦争中の日本人』というイメージからはるかに離れていると。」 
・本の紹介『陸軍特別攻撃隊』高木俊朗 著 陸軍の報道班員だった人 綿密な調査、佐々木宅も3週間も取材、
・ 『神風特別攻撃隊』 中島正・猪口力平(海軍で特攻を命じた人) 著 戦後ベストセラー いま絶版 この本により、『積極的に自分から志願し、祖国のためににっこり微笑んで出撃した』という根強いイメージを作った。
「そして関大尉は、『承知しました』と短く答えた。これは『志願』のふりをした『強制』です・・・・」著者は欺瞞に満ちた本という。 ☆以下の引用でわかります。
・「…上官が止めても、『私を』『私を』と志願が殺到したのなら、『特攻の責任』は生まれません。が、命令ならば、戦後、(上官が)おめおめと生き延びていたことを責められてしまいます。多くの上官は、『私もあとに続く』とか『最後の一機で私も特攻する』と演説していたのです。大西滝治郎中将のように戦後自刃、しなかった司令官達は、ほとんどが、『すべての特攻は志願だった』と証言します。私の意志と責任はなんの関係もないのだと。」 1951年、特攻作戦や軍部への批判が高まっていた時に、この本は、その風潮に対抗するように出版された。
・「けれど、遺書に本音がかけなかったことは、少し調べればすぐに分かります。」
・しかし、「…軍隊以外の考え方を知らない若者たち・洗脳されて、そのまま受け入れる 場合もあった」 
☆上官の思いを忖度して、特攻をいやいや志願したのか?・・・・ アホ―!
・「兵学校を出たエリート達は、たたき込まれた軍隊精神と特攻という作戦の軋みに、あらゆる矛盾を呑み込んで沈黙していたのではないかと、僕は推測するのです」『・・・また実戦経験や技術的練度の高い者や高学歴者ほど批判的であり、年齢も学歴も低い者ほど積極的だった』(つらい真実 虚構の特攻隊神話 小沢郁郎著)
・「『一億総懺悔』・日本国民は、『私にも責任がある』と自省しました。それはとても思いやりのある優しい国民性ですが、問題の所在を曖昧にし、再び、同じことを繰り返す可能性を生むのです。『命令した側』と『命令された側』をごちゃ混ぜにしてしまうのは、思考の放棄でしかないのです。」「『英霊』『軍神』と褒め讃えると、そんな特攻隊員を生んだ、『命令した側』も評価されるイメージが生まれるのです。」
・敗戦濃厚になるにつれ特に沖縄戦・・「圧倒的に飛行時間の足らない操縦士を、ボロボロの飛行機で送り出した上官たちは、どんなに言い訳しても、若い人命を消耗品と考えていたとしか思えません。彼らは、どこまで本気で戦果を上げると信じていたのでしょうか。」 ☆『空気』のせいだよ!
・特攻の有効性⇒嘘で塗り固めて
◎≪国民の熱狂≫ 1944昭和19年10/29の1面トップの『必死必中の体当たり』の記事より、・終戦まで特攻の記事が1面で記事になったのが、計128回(朝日新聞)・・・」 「国民は感動し、震え、泣き、深く頭(コウベ)を垂れました。そして、結果として、戦争継続への意志を強くしたのです。」
・≪売れるから書く≫ と言って、司令部の意図をくんで、煽ったマスコミを責めるだけでは何の問題も解決しません。・・・日露戦争以降、新聞社は戦争が商売になることを知って、軍部に協力していきます。それが、佐々木友次さんの特攻を書いた勇壮な作文になるのです。・・・満州事変に反対する『大阪朝日新聞』を買い支える大衆は存在しなかったのです。」
・「特攻が続いたのは、・・主要な理由の一つは、『戦争継続のため』に有効だったからだと、僕は思っています。戦術としては、アメリカに対して有効ではなくなっていても、日本国民と日本軍人に対しては有効だったから、続けられたということです。」
・≪精神主義の末路≫ 「精神が弛んでいるからだと責める・・・B29に届く高性能な高射砲ではなく、『精神』が求められたのです。」
・『彗星夜襲隊 特攻拒否の異色集団』渡辺洋一著 にある、美濃部正 少佐。「あの時代に、『精神力』だけを主張する軍人しかいなかったわけではない、心の中で反論するだけではなく、ちゃんと声をあげた軍人がいたんだと知るだけで、僕は日本人の可能性を感じるのです。」
・『社会』が定着せず、『世間』が生き続ける。・・・『世間』は『所与』のものだと日本国民は考えている、つまり、『初めから与えられたもの』という認識です。色々な社会的システムに対して、日本人は、自分の判断とは関係なく、初めからそこにあるので、自分ではどうこうできるものではない、と当然のように考えるのです。」⇒≪思考の放棄と『集団我』≫『自我は集団我を含んで拡大強化される。そうして集団のもつ決定力を、自己の決定と思い込み、集団の実行力を自分の実行力をと見なすようになり、自我は集団我によって強化されることで、個人の決定不安を一応解消することができる』(南博 記)
・「文化的に蹂躙された経験があれば、『世間』は所与のものだとは思わなかったはずです。与えられたシステムは自分達が求めたものではないので、変革すべきと戦ったはずです。…日本人を苦しめたのが、異国の異文化や異教徒ではなく、自然災害だったということが、じつは『所与性』を生む原因だったのではないかと僕は思っています。・・・目の前に具体的な敵がいれば、人は戦います。・・・逆に言えば、私達日本人は、自分が生きる『世間』の中で精一杯、その世間に相応しい人間として振る舞おうとするのです。」
・「みんながなんとなく問題だと思っているのに、誰も言い出せないから『続けることが目的』となっていることが、この国ではとても多いのじゃないかと僕は思っているのです。」 ☆私は私の身の回りにある「世間」を変えて行きたいんです。
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こんにちは!

【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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プロフィール

高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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