☆武四郎が書いた本。徹底的に批判的に読みました。時代に影響されるとはいえ、やっぱし変なところあると私は考えます。
しかし、当時の蝦夷地のアイヌの人たちの様子がよく分かります。
・初-1、兄弟の豪男、兄イコトエ 弟カニクシランケ
「…獰猛なヒグマやワシを獲っては海岸に運び、米、酒、たばこ、あるいは古着などと交換して、老いた父母を慰め、少しも孝行を怠ることがなかった。」 ラスト近く「たった一夜の宿を求めた縁でたずねて行った私を、下男に命じて昆布を取り出して炉で焼かせるなど、すこぶる親切にもてなしてくれたのには、悲しみと嬉しさに、ともに涙をながしてきたことをここに記す」
初-3、三女の困窮、ヤエコエレ婆 ヒシルエ婆 ヤエレシカめのこ
「・・・その苦難の件が、函館奉行、堀織部正殿のお耳にたっした。奉行殿はヤエコエレの妹娘、シトルンカを呼び出されて、みずから多くの玄米などをお与えになって、この者たちを一度山に戻し、老人たちを養わせるようにと、ありがたいお言葉を賜ったのである。まことに口に尽くしがたいほど、かたじけなく存する次第であった。」☆奉行は天子様みたいだなぁー
初-4、孝子コトン
「・・・親のために我が子を手放すことまで考えるなど、これほど優れた人物がでたのは、すばらしいことだと感銘した・」☆??
初-9、豪傑カニクシアイノ
「カラフト島・・・しかし、それは我が国の支配下にあるアイヌたちが住んでいる(☆我が国はアイヌを支配してんだ?)土地・・、西海岸のホロコタン以北は、韃靼系の民俗の住む土地であるから、・・・○○付近にはオロッコ、・・・、まことに、この者たちの態度は、わが皇国の御威光が輝くばかりで、いまだに衰えてはおらぬ証拠ではないかと思われ、これだけは奥地探検中の大きな喜びであったと記しておくものである。」☆国粋主義者かな?
初-18、縊死したエカシヘシ
「・・・けなげにも縊死したという。あわれなことであった。・・・彼らといえども、意気地があり、あの悪徳商人どものような卑しい連中と比べれば、どれほどましかわからぬことを記しておくものである。」☆《けなげにも》にも、という表現、私には、げせません
初-29、シキシマ正義の訴え ☆なんで正義?
函館奉行所の向山隊長の家来に「『・・運上屋の邪魔で、・・このために、和人になれとのお触れを拒むものもありましょうが、じっくりとお話しくだされるならば、皆、喜ぶことでことでございましょう。・・このことをお国のために秘かに訴えたのであります』と。まことに感心なことなので記しておくものである。」☆アイヌの国は日本なの?変だよでっち上げの話し? 武四郎は同化主義者か?! アイヌにいやがられない、同化政策をということか? 人道主義的同化政策なんてあるの? 天地の民?
弐-2、孝子クメロク
「・・妻に『我が家に来るからには、私の気持ちに従うことは少しも考えないでいいから、昼夜を問わず父の気持ちに逆らう事のないように、ともかく年寄りの喜ぶようにつとめてくれ』と繰り返し頼んだ。・・・そのことが、いつかご領主の耳に入り、米、酒、たばこなどを賜ったという。・・・まことにその純情なことは、和人の及ぶところではないと深く感じ入ったので、こうして書きつけておくものである。」 ☆変な修身の教科書か?
弐-6、孝子ウナケシ
・網走番屋、「同地では、アイヌが16,17歳になると男女の差別なくクナシリ島、利尻島などに連行して働かせ、娘は番人や和人漁夫の妾とし、夫がおれば夫を遠くの漁場にやって思うままにする。男のアイヌは昼となく夜となくこき使って、堪えられず病気にかかれば雇蔵というところに放置して、・・・、しかしウナケシの理に合った論法で・・・、ウナケシの孝行をまっとうさ」
弐-13、孝女フツモン
「・・・じつに話にきく中国の24孝にもまさる孝養をつくしして、30いくつになるまで独身ですごしてきた。・・・老女が病死するまで、少しも心変わりすることなく、夫婦仲睦まじく孝養をつくしたのであった。・・・函館奉行某氏が、多くの米、たばこ、緋の面布などを与えて、その孝心をお賞めになった。これも天地の神々がかんじられたためかと、ありがたく思った次第である」
弐-17彫物師シタエホリ
エトロフ島、「あの悪徳商人どもがはびこって多くの民衆を殺してしまった中にあって、ただひとり、義勇の魂を貫きとおしているその姿に、これこそわが皇国の威風の現れであろうとかと、嘆きの中にも、いささかたのもしく感じた次第である。」☆志士か
弐-30、渡し守市松
・「釧路場所においては、41人の番人中、36人までがアイヌの女性を強奪して妾とし、その夫たちを仙鳳跡や厚岸の漁場に労役に行かせるのがふつうとなっている。だが白糠ではそのようなことはなく、もし一人でもそのようなことをする番人がいれば42軒、アイヌたちが一致協力して、その番人をせめたてるならわしである。・・・、このたび幕府直轄になって、これまで松前藩によって禁止されていた農業が、・できるようになると、イチマツは第一番に家の傍らに畑を開墾して、大根、粟、キビ、インゲン豆などを蒔いた。・・・髪を剃り落して帰化した。・・・まことに感心なことである。」☆明治政府の先を行くか?白糠イイネ!
参-8、孝行娘ヌイタレ
・留萌、「・・・そしてそれからは、以前より増して心を配り(母へ)ゆき届いた孝養を尽くしたのであった。このことが、いつか松前藩に伝わって、去る丑年1853年には多くの米を賜って、ヌイタレの孝養を賞されたのである」☆松前藩をほめてるじゃん!
参-36、豪勇ハフラ酋長 (ラスト)
・沙流(サル)場所全域(平取、日高など)の総酋長、義経伝説を淀みなく話してくれた。「…われわれの髪を日本風にせよと仰せられるのは、まことにふしぎなことであります。われわれは以前から日本の国民と思っておりましたのを、今になって急に日本風にしは、なんともおかしなこと・・・、赤フト(ロシア人)の船がやってきて、アイヌに多くの宝物、米、酒、着物などを与えて手なずけようとしたことがございます。そのときもやはりこのような髪形でありましたが、一人として彼らに従うものがございませんでした。それというのもじぶんたちはみな日本の国民とおもっていたためでありました。・・この酋長の気魄によって・・これ以来、東西蝦夷地の各場所においても、風俗のことはさして干渉されなくなったのであるから、ハフラ酋長の先見と決断は、・感嘆するにあまりあり・・」
◎「さて、こうして3巻の原稿を書き終わり」武四郎、夢の中で、「いまや富貴をきわめる役人方が、芸妓たちに三味線、・料亭料理をならべ、請負人・問屋・支配人どもが太鼓持ちをつとめて歌えや舞えと歓楽を尽くしておられた。そのとき、座敷を吹き抜ける一陣のなまぐさい風に振り返って見れば、大皿に盛られた刺身は鮮血したたる人肉、浸し物はアイヌの臓腑、うまそうな肉は人の肋骨、盃に満ちているのは、みな生血ではないか。二目と見られぬそのありさまに周囲の襖を見ると、描かれた聖賢の画像はアイヌの亡霊と変わって、ああ、うらめしや、うらめしやと訴える声に、思わず目をさました。全身に冷や汗がながれ、・・・、このアイヌたちの恨みの声を、私だけでなく各界有識者の方々に知って頂きたいとの願いによって、松浦武四郎源弘は、このように記しおえたのである。」 幕・終わり
☆ひょっとすると、各地のアイヌ酋長に手土産で、懐柔し和人に対しての叛乱を予防した側面がある?それはないかな。
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