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「失敗の本質」-日本軍の組織論的研究 戸部良一・他5人 著  読書ノート

☆忖度(空気を読み)をし、論理的でなくなり、正しい判断が出来なくなる、日本的組織の欠陥を考えるための必読書か。
◎大東亜戦争における諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、これを現代の組織一般にとっての教訓あるいは反面教師として活用することをねらいとした本書は、学際的な協同作業による、戦史の初の社会科学的分析である。(裏表紙より)
・序章より・・・「そもそも軍隊とは、近代的組織、すなわち合理的・階層的官僚制組織の最も代表的なものである。…しかしながら、問題は、そのような誤判断を許容した日本軍の組織的特性、物量的劣勢のもとで非現実的かつ無理な作戦を敢行せしめた組織的欠陥にこそあるのであって、・・・日本軍の組織的特性は、その欠陥を含めて、戦後の日本の組織一般のなかにおおむね無批判のまま継承された、
◎ノモンハン事件― 失敗の序曲  昭和14年5~9月
・「関東軍の作戦演習では、まったく勝ち目のないような戦況になっても、日本軍のみが持つとされた精神力と統帥指揮能力の優越といった無形的戦力によって勝利を得るという、いわば神憑り的な指導で終わることがつねであった。ノモンハン事件は日本軍に近代戦の実態をあますところなく示したが、大兵力、大火力、大物量主義をとる敵に対して、日本軍はなすすべを知らず・・・、情報機関の欠陥と過度の精神主義により、敵を知らず、己を知らず、大敵を侮っていたのである。・・・意見が対立すると、つねに積極策を主張する幕僚が向こう意気荒く慎重論を押し切り、上司もこれを許したことが失敗の大きな原因であった。」「中国侵略そしてその植民地的支配の過程で、日本軍の戦闘機関としての組織的合理化は妨げられ、逆にさまざまな側面において退化現象を示しつつあった。このような退化現象を起こしつつあった日本軍の側面を初めて劇的な形で示したのがノモンハン事件であった。」
◎ミッドウェイ―作戦 ― 海戦のターニングポイント  昭和17年6/5~6/7
・≪連合艦隊司令部の錯誤≫、「目的の曖昧さと指示の不徹底-・・この作戦の真のねらいは、ミッドウェイの占領そのものではなく、同島の攻略によって米空母群を誘い出し、これに対し手動的に航空決戦を強要し、一挙に補足撃滅しようとすることにあった。ところが、この米空母の誘出撃滅作戦の目的と構想を、山本は第一機動部隊の南雲に十分に理解・認識させる努力をしなかった。ここに、後世に至って作戦目的の二重性が批判される理由がある。」
・「矛盾した艦隊編成- 作戦目的にそぐわないこの艦隊編成は、用兵思想の混乱をシンボリックに示している」
・「司令長官の出撃- 山本連合艦隊司令長官自らが主力部隊を率いて出撃したため、逆に適切な作戦指導を行えなかった。
・≪第一機動部隊の錯誤≫、索敵の失敗- 索敵計画・行動には慎重さが欠けていた・・・
・航空作戦指導の失敗- 重大な過誤は、米空母はミッドウェイ付近に存在しないであろうという先入観にとらわれていたこと。・・・航空決戦では先制奇襲が大原則なので・・・、これらの錯誤・過失はいずれもミッドウェイ作戦の目的と構想の理解・認識が十分でなかったことに由来していた。」
・「近代戦における情報の重要性を認識できなかった- 開戦時における日米間の技術力の差はそれほどでもなかったが、その後の実用化の努力には顕著な違いが見られる。」
・「攻撃力偏重の戦略・用兵思想- 攻撃力発揮の前提である情報収集、索敵、偵察、報告、後方支援などを配慮する余裕がなく研究や訓練も十分でなかった。」
・「防御の重要性の認識の欠如、ダメージ・コントロールの不備
◎ガダルカナル作戦― 陸戦のターニングポイント   昭和17年8/7~翌年2/7  
・「失敗の原因は、情報の貧困と戦力の遂次投入、それに米軍の水陸両用作戦に有効に対処し得なかったからである。日本の陸軍と海軍はバラバラの状態で戦った。」
・≪戦略的グランドデザインの欠如≫、 米軍には、ガダルカナル島攻撃が、日本本土直撃への一里塚であるという基本的デザインがあった。・一方、帝国陸軍の戦争終末観は、主力を中国大陸に置き、重慶攻略作戦によって、米国を中心とする連合軍に対抗して、日本の不敗態勢を確立することであった。・・太平洋は海軍の担当であるので、なんらの関心も持っていなかった。・・一方海軍も米軍が陸・海・空統合の水陸両用作戦を開発していたことは、まったく予期しておらず、太平洋諸島の攻防をいかにすべきかについてもほとんど研究していなかったのであった。」
・≪攻勢終末点の逸脱≫、陸軍における兵站線への認識、すなわち補給は、敵軍より奪取するかまたは現地調達をするというのが常識的ですらあった。海軍における主要目標は米国海軍機動部隊の撃滅であり、本来的には補給物質輸送の護衛等に艦艇を供しようとするものではなかった。・・多くの護送船団が米航空戦力によって沈没させられたのも当然・
・≪統合作戦の欠如≫、米軍にとても劣る。「陸軍と海軍がバラバラの状態で戦い、・・補給にしても、所要量の1/3内外を輸送したに過ぎなかった。」
・≪第一線部隊の自律性抑圧と情報フィードバックの欠如≫、「作戦司令部には兵站無視、科学的思考方法軽視の風潮があった。・・それまで、粗雑な戦略であっても、個々の戦闘において、第一線はその練達の戦闘技量によってよくこれをカバーして、戦果を挙げてきたのである。・・・・・・組織の中では合理的な議論が通用しなかったし、状況を有利に打開するための豊富な選択肢もなかった。それゆえ、帝国陸軍の誇る白刃のもとに全軍突撃を敢行する戦術の墨守しかなされなかったのである。」
◎インパール作戦― 賭けの失敗   昭和19年3月~7月
・「しなくてもよかった作戦。戦略的合理性を欠いたこの作戦がなぜ実施されるに至ったのか。作戦計画の決定過程に焦点を当て、人間関係を過度に重視する情緒主義や強烈な個人の突出を許容するシステムを明らかにする。」
・☆牟田口というどうしようもない馬鹿の存在を許した軍隊だから・・・牟田口『私は盧溝橋事件のきっかけを作ったが、事件は拡大して支那事変となり、遂には・、もし今後自分の力によってインドに進攻し、大東亜戦争遂行に決定的な影響を与えることができれば、今次大戦勃発の遠因を作った私としては、国家に対して申し訳が立つであろう。』・・インド進攻論へと飛躍することをもっとも強く支えたものは、このような彼の個人的心情であったかも知れない。」☆牟田口昭和41年まで生きてるよ!
・「・・・何を言っても無理だというムードが、第15軍司令部をつつんでいた。」☆馬鹿には何言っても通じないよ。 「補給を重視し南方に重点を指向して作戦の柔軟性と堅実性を図るべきこと、という南方軍および方面軍の趣旨は第15軍には徹底されなかった。」「ついに真田も杉山の《人情論》に屈してしまった。…」「補給が成り立たなければ、本来、作戦も成立し得ないはずであった。」「秦参謀次長の報告は実質的に無視されて大本営内の作戦中止論者は沈黙を余儀なくされ、東条による積極論(作戦継続論)の表明は、かえって現地軍を督戦する結果となり、インパール作戦を窮地に追い込むこととなってしまった。」
・≪アナリシス≫、「当時の日本の衰えつつある国力から見て、それが戦局全体にとって必要かつ可能な作戦であったかどうか・真剣な検討を加えられた形跡はない。」 「第15軍の計画は補給を軽視し、戦略的急襲にすべてを賭け、コンティジェンシー・プランを欠いたもの。・・・その杜撰さを生んだ要因には、敵の後退作戦や・・情報の貧困、・惰性に由来した敵戦力の過小評価などあげられる。・・・しかるべき体験を味わわされたにもかかわらず、少しも改められず、先入観の根強さを示すと共に、組織による学習の貧困ないし欠如をも物語った。また、《必勝の信念》という非合理的心情も、積極性と攻撃を同一視しこれを過度に強調することによって、杜撰な計画に対する疑念を抑圧した。そして、これは陸軍という組織に浸透したカルチュア(組織の文化)の一部でもあった。」「作戦計画が上級司令部の同意と許可を得ていくプロセスに示された、《人情》という名の人間関係重視、組織内融和の優先、・・作戦中止決定の場合にも顕著に現れた。・・・このような人間関係や組織内融和の重視は、本来、軍隊のような官僚組織の硬直化を防ぎ、その逆機能の悪影響を緩和し組織の効率性を補完する役割を果たすはずであった。しかしインパール作戦をめぐっては、組織の逆機能発生を抑制・緩和し、あるいは組織の潤滑油たるべきはずの要素が、むしろそれ自身の逆機能を発現させ、組織の合理性・効率性を歪める結果となってしまったのである。」
◎レイテ海戦- 自己認識の失敗  昭和19年10/23~10/25
・「゛日本的゛情緻をこらしたきわめて独創的な作戦計画のもとに実施されたが、参加部隊(艦隊)が、その任務を十分把握しないまま作戦に突入し、統一指揮不在のもとに作戦は失敗に帰した。レイテの敗戦は、いわば自己認識の失敗であった。」  「レイテ島に上陸しつつあった米軍を撃滅するために行った起死回生の捨身の作戦」
・「作戦成功のための第一条件(前提)は、まず何よりも、作戦目的の明確化であり、それが作戦参加の主要メンバーによって共通の認識のもとに共有されていること、さらに、目的遂行のための自己の任務の認識が正確になされていることが不可欠である。・・・作戦の立案者と遂行者の間に戦略目的について重大な認識の不一致がある・・・(☆つまり)、栗田長官による謎のレイテ反転の遠因あるいは真因はすでにここに存在していたのである。」「≪高度の平凡性の欠如≫☆高度の平凡性って、なんだ、わけわかりません。
◎沖縄戦― 終局段階での失敗   昭和20年4/1~6/26
・「相変わらず作戦目的はあいまいで、米軍の本土上陸を引き延ばすための戦略持久か航空決戦かの間を揺れ動いた。とくに注目されるのは、大本営と沖縄の現地軍に見られた認識のズレや意思の不統一であった。」
◎≪失敗の本質―戦略・組織における日本軍の失敗の分析≫
・「目的の曖昧な作戦は必ず失敗する」
・「作戦目的の多義性、不明確性を生む最大の要因は、個々の作戦を有機的に結合し、戦争全体をできるだけ有利なうちに集結させるグランドデザインが欠如していたことにある。・・日本軍の失敗の過程は、主観と独善から希望的観測に依存する戦略目的が戦争の現実と合理的論理によって漸次破壊されてきたプロセスであったということができる。このプロセスは、戦争の開始と終結の目標が曖昧であるという事実によって、実に戦争全体をおおっていたのである。」
・≪短期決戦の戦略志向≫「・・長期の見通しを欠いたなかで、日米開戦に踏み切ったというその近視眼的な考えをさす、個々の作戦にもその考えが現れている・・・短期決戦志向は、補給・兵站の軽視にもつながっている。
・≪主観的で『帰納的』な戦略策定―空気の支配≫☆山本七平さんのいう『空気の支配』である。「これはもはや作戦というべきものではない、理性的判断が情緒的、精神的判断に途を譲ってしまった。軍令部次長の小沢治三郎中将は、このときを述懐して、『全般の空気よりして、当時も今日(☆いつ?)も、(戦艦)大和の特攻出撃は当然だと思う』と発言している。」☆反省できない人、こういう人が中将なんだから、・・・
・「参謀本部作戦部における情報軽視や兵站軽視の傾向を見るにつけても、日本軍の平均的スタッフは科学的方法とは無縁の、独特の主観的なインクリメンタリズム(積み上げ方式)に基づく戦略策定をやってきたといわざるを得ない。
・≪狭くて進化のない戦略オプション≫、「猛訓練による兵員の練度の極限までの追求は、必勝の信念という精神主義と相まって、軍事技術の軽視につながった。」 「・・この海戦要務令の条項からも明らかなように、日本海軍の短期決戦、奇襲の思想、艦隊決戦の思想は教条的にといってよいほど保持された。」 「陸軍・こうした一連の綱領類が存在し、それが聖典化する過程で、視野の狭小化、想像力の貧困化、思考の硬直化という病理現象が進行し、ひいては戦略の進化を阻害し、戦略オプションの幅と深みを著しく制約することにつながった。」
・≪アンバランスな戦闘技術体系≫陸軍開発の『隼』・高性能。『大和』は日本軍のアンバランスな技術体系の象徴
・≪人的ネットワーク偏重の組織構造≫、「・・・現地の専断を追認する形になった」 「・・・関東軍に対して、明確な指示を下さないままに、意のあるところをくみ取らなかったとするのは統帥の実務責任者として適切な判断といえるか、・・・関東軍の感情を刺激するのを恐れて、正式な伝達手続きをとっていない、・・・その表現が明確でなかったために、関東軍は中止要求と受け取っていない。・・・
・「…両者とも作戦中止を不可避と考えたにもかかわらず、『中止』を口に出さなかった。牟田口は『私の顔色で察してもらいたかった』といい、河辺も牟田口が口に出さない以上、中止の命令を下さなかった。以上のような事実は、日本軍が戦前において高度の官僚制を採用した最も合理的な組織であったはずであるにもかかわらず、その実体は、官僚制のなかに情緒性を混在させ、インフォーマルな人的ネットワークが強力に機能するという特異な組織であることを示している。」
・『陸大出身者を中心とする超エリート集団は、参謀という職務を通じて指揮権に強力に介入し、きわめて強固で濃密な人的ネットワークを形成した。・・・軍事組織としてのきわめて明確な官僚制的組織階層が存在しながら、強い情緒的結合と個人の下克上的突出を許容するシステムを共存させたのが日本軍の組織構造上の特異性である。・・・階層による意思決定システムは効率的に機能せず、根回しと腹のすり合わせによる意思決定が行われていた。』
・「海軍の場合は、参謀は指揮権に干渉したり、介入することは戒められていた。 少数のエリートが左右することはなかった。
・「日本軍の組織構造上の特性は『集団主義』と呼ぶ…、組織とメンバーとの共生を志向するために、人間と人間との間の関係(対人関係)それ自体が最も価値あるものとされるという『日本的集団主義』に立脚している・・そこで重視されるのは、組織目標と目標達成手段の合理的体系的な形成・選択よりも、組織メンバー間の『間柄』の配慮である。」
・「陸海軍の間には、戦略思想の相違、機構上の分立、組織の思考・行動の様式の違いなどの根本的な対立が存在し、その一致は容易に達成できなかった。・・・両軍の・裁定を下せるのは天皇だけ・・」
・≪学習を軽視した組織≫「およそ日本軍には、失敗の蓄積・伝播を組織的に行なうリーダーシップもシステムも欠如していた。」 「装備の不足を補うのに・その精神力の優位性を強調したのである。こうした精神主義は二つの点で日本軍の組織的な学習を妨げる結果となった。一つは敵戦力の過小評価、・二つは自己戦力の過大評価・・」
・「海軍で聖典視された『海戦要務令』で指示されたことが、実際の戦闘場面で起きたことは、一度もなかった・・」
・≪プロセスや動機を重視した評価≫ノモンハン事件、「・・・しかし同時に辻政信の参謀としての責任、それも越権行為、専断命令を含め、重大な責任があることも明白な事実である。にもかかわらず、日本軍はその責任を問おうとしなかった。・戦闘失敗の責任は、しばしば転勤という手段で解消された。・・戦闘結果よりはリーダーの意図とか、やる気が評価された・・・個人責任の不明確さは、評価をあいまいにし、評価のあいまいさは、組織学習を阻害し、論理よりも声の大きな者の突出を許容した。このような志向が、作戦結果の客観的評価・蓄積を制約し、官僚制組織の下克上を許容していったのである。・・・ミッドウェイの敗戦、南雲長官の責任は不問に付され、かえって『仇討ち』の機会として、次の作戦にも責任者として・・」 「海軍であっても、多くの作戦計画は、実行において失敗が明らかであった場合でも、組織としての反省、批判を含めた適切な評価を下すことはついになされないで終わっている。・・・評価においても一種の情緒主義が色濃く反映され、信賞必罰のうちむしろ賞のみに汲汲とし必罰を怠る傾向をもたらしたのである。」
◎失敗の教訓― 日本軍の失敗の本質と今日的課題
・「日本軍は、自らの戦略と組織をその環境にマッチさせることに失敗した・・・」
・「白兵戦による銃剣突撃主義が帝国陸軍の戦略原型。帝国陸軍は、物的資源よりも人的資源の獲得が経済的により容易であったという資源的制約と、人命尊重の相対的に稀薄であった風土の中で、火力重視の米軍の合理主義に対し白兵重視のパラダイムを精神主義まで高めていったのであろう。」
・「その環境特性から、陸軍よりはるかに技術的合理性を潜在的に有していた海軍も、大艦巨砲主義の戦略原型を中心にして、・・艦隊決戦へという考え方を軸に展開された。・・・ハードウェアとソフトウェアの蓄積を怠ったのである」
・軍隊の教育システム・「それらの人々がオリジナリティを奨励するよりは、暗記と記憶力を強調した教育システムを通じて養成された。・・不確実の高い状況下で独自の判断を迫られるようになってくると、十分に機能しなくなるだろう。艦隊決戦主義や白兵銃剣主義の墨守は、このような教育体系の産物でもあったのである。」
・≪統合的価値の共有≫、「『大東亜共同宣言』の一項に、『大東亜各国は相互にその伝統を尊重し各民族の創造性を伸暢した大東亜の文化を昂揚す』とあるが、第一線兵士は現地における現実の中で、どれほどこの理念を信じて戦うことができたであろうかる」
・「・・日本軍エリートは、このような日本的官僚制組織の有する現場の自由裁量と微調整主義を許容する長所を、逆に階層構造を利用して圧殺してしまったのである。そして、既述したように、日本軍の最大の失敗の本質は、特定の戦略原型に徹底的に適応しすぎて学習棄却が出来ず自己革新能力を失ってしまった、ということであった。」
●「日本軍が特定のパラダイムに固執し、環境変化への適応能力を失った点は、『革新的』といわれる一部政党や報道機関にそのまま継承されているようである。すべての事象を特定の信奉するパラダイムのみで一元的に解釈し、そのパラダイムで説明でき担い現象をすべて捨象する頑なさは、まさに適応しすぎて特殊化した日本軍を見ているようである。」
・「日本軍の持っていた組織的特質をある程度まで創造的破壊の形で継承したのは、おそらく企業組織であろう。」
・「率先垂範の精神や一致団結の行動規範は、日本軍の持っていた、いい意味での特質であったといえる。意識すると否とにかかわらず、日本軍の戦略発想と組織的特質の相当部分は戦後の企業経営に引き継がれているのである。」
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こんにちは!

【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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プロフィール

高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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③ 旅や山行での報告感想  
等で 皆様の役にたてたら良いなと思うブログを書いてまいります。

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