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「異形の人」-アッシ判官松本十郎伝- 井黒弥太郎 著  読書ノート

はじめにより、「道開拓のために、・精神的な糧を残した人としては十郎を超えるものはいない」と著者は持ち上げる。

私の調べ・松本十郎、アッシ判官 根室・判官⇒札幌大判官 武四郎を酷く批判した人。 
1839天保10年~1916大正5年  山形・庄内藩士の子。本名戸田惣十郎。
1863年24歳のとき、幕府の命で父と一緒に西蝦夷地警備に行く。蝦夷地の様子つかむ。戊辰戦争で庄内藩は、敗北・朝敵となる。藩主と庄内藩に恩赦を求め奔走、京都に黒田清隆に談判など。
明治2年にその黒田清隆の推挙もあり、根室の開拓判官になる。愛着をもたれるよう、アイヌの「アッシ」服を着ていたから、「アッシ判官」と呼ばれる。属僚130名を連れて、根室でアイヌにとっても、善政を4年行う。 明治6年、黒田の命で札幌に栄転。大判官になる。放漫な財政運営から行政改革、緊縮財政で、立て直すも、明治8年の、樺太・千島交換条約による、樺太にいるアイヌの強制移住問題で、黒田と対立し、黒田が、アイヌを結局対雁(江別)に強制移住したことに憤慨し、職を辞し、郷里鶴岡に帰郷し(38歳)、一生一農民として78歳で他界。武四郎よりも、アイヌのことを考えたと本人も主張する。☆なに、両者とも、以後、内地に引っ込んで、何もしなかったじゃん!

・以下引用 根室に赴任 「東京には老齢の松浦武四郎判官を残して、東久世長官以下の官員(岩村通俊判官・島義男判官と松本十郎判官ら)が、イギリス船テールス号で品川沖を発ったのは、明治2年10月25日(新暦)。船には、東京府から託された移民200人(内100人根室、宗谷100人)が乗っていた。これらは素質の悪い者であったというから・・」☆この200人あちこち行って、苦労するはな。
・十郎は、武四郎も通った難路、石狩から大雪の山越えで十勝への山路を辿り、人生を振り返り、大判官を辞するを決める。蛇足で、武四郎の『石狩日誌』は読者喜ぶように、嘘に近い脚色などありと非難。☆十郎さん、高級武士であったせいか、気位高く、武四郎ごとき、成り上がり武士(?)・官吏を、ばかにするのかな?
・「維新このかた参議・前原一誠の萩の乱、参議・江藤新平と元開拓判官・島義男の佐賀の乱、そして今は専ら西郷と私学校一派の蜂起がうわさされ・・・庄内は維新降伏以来、西郷の庇護の下にあり、その崇拝ぶりはむしろ信仰的といえるほどである。・・こういうところへ、松本十郎を放つということは、黒田としては、まさに一大事と受け止めたとしておかしくない。『奴は必ずや火の玉となって、庄内士族に火をつけるだろう』こう思うと黒田は・・・」☆信念の人(?)・松本十郎は、庄内士族を売るのである! 情報をわざわざ上京し岩倉右大臣、そして大久保利通に合い・献策(作者の言)し、庄内は抑え込まれる。十郎帰国し農業に励む、とな。
・「とにかく北海道では数少ないこの精神開拓者が、世俗を拒んでひたすら自己の信念に生きようとした・・・」☆宗教者になったんかいな・・・ちがうよな・・
☆著者・井黒さん、松本十郎さんに、贔屓の引き倒しだけでなく、もっと人物像・精神面・時代の嵐の中での人物像など「深堀り」して欲しいですね。

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【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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