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「人と思想シリーズ 三島由紀夫」 熊野純彦 著   読書ノート

・「はじめに―三島由紀夫と高橋和己」より
・高橋和己の『孤立無援の思想』の中の『仮面の美学―三島由紀夫』の中、高橋は言う『…あるいは、被害者の自己正当化に対しては強盗の名誉を、怨嗟の真実に対しては仮面の倨傲を―同様の皮肉な対照はいくらでもあげうるけれども、このわずかな挙例からもじゅうぶんに見て取れるのは、みごとな反撥の経歴であり、それを維持し続けた硬質の知性 である。』
/1960年代後半の学生の気分 谷川雁 「我々は連帯を求めて、孤立を恐れない、力及ばずに倒れることも
・評論家、徳岡孝夫は書く『三島のボディービルや剣道は、このためだったんだな、と私は直感した。最後の瞬間にそなえて、彼は喉の力を含む全身の体力を、あらかじめ鍛えぬいておいたのだ』

・小島(編集者)に託された『天人五衰』は、・畢生の大作『豊饒の海』の大尾となった。引用 『これと云って奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を繰るような蝉の声がここを領している。そのほかには何一つ音とてなく、寂寞をきわめてゐる。この庭には何もない。記憶もなければ゜何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。・・・・・』 この一文をみずからの最後のことばとして残しておきたかったのだ。」
・≪盥のふち≫☆生まれてすぐ盥(タライ)のふちを見たという 「祖父の平岡定太郎は優秀な野心家で・・明治41年には樺太庁長官になっていた。・・一家が6人もの手伝いの女性たちをかかえていたことは、・分不相応で『病的な虚栄』祖母の平岡夏子・・」
・「『わたしは武家と公家の祖先をもって』・・物語を展開するうえの必要から設定された虚構であったと同時に、公威(三島の名)が祖母から受けついだ幻想に根をおろしたものなのであった。」
・「三島少年は「雅び」の系譜にこだわり、それをじぶんのうちに流れ込んでいる水の流れに似た伝統と考えたいのだ。その願望を公威ははやくに、祖母の夏子から注ぎこまれたように思われる。
・「かくして、≪狂おしさに満ちた≫その『詩的な』たましい、現実のかなたにあるまぼろしを愛する精神のかたちが生まれる。―孫の公威は、鏡花好みと貴族趣味、幻影への愛着に確実に感染し、三島由紀夫は後年に至るまでその偏愛を手ばなさず、嗜好をも変えていない。晩年の傑作『春の雪』が、その最後の美しい結晶となったといってよい。」

・学習院初等科から中等科へ、(☆貴族の学校)、‥『詩を書く少年』・・当時は「生徒の1/3ほどが庶民であって・・」 三代続いた高級官僚の子弟であった公威・・・
・「小説家は書く『微妙な嘘をついていた。時によって、微妙な嘘のつき方をおぼえた。言葉さへ美しければよいのだ。さうして、毎日、辞書を丹念に読んだ』これは多少戯画化された、かつての自画像であろう。」
・「『この祖母なくしては、おそらく作家三島由紀夫が誕生することはなかった。』・・文学少年は、早熟の天才を周囲に認められている。・自信をふかめた公威は、自分で同人誌を創刊しようとする。」
・「平岡公威は戦争のさなかに『青年のシニシズム(好んで青年が着る最も醜い衣装!)で身を鎧ひ、未来に対しても過去に対しても、見ざる聞かざる言わざるの三猿を決め込んでゐた』かに見える。」
・本籍地の兵庫県志方村で徴兵検査、第2乙種合格。学習院高等科を主席で卒業、恩賜の銀時計。東京帝国大学法学部法律学科独法科に推薦入学。
・1944/11/11『花ざかりの森』出版記念会、翌年1/10学徒動員、中島飛行機製作所へ。2/4入隊検査、誤診により、即日帰郷。

・「三島は、一方では、太宰治と自分の資質の相似もなかば承認している。」 「戦後派との違和感と川端への接近」 21歳の時『煙草』を発表、その中 『今や私は自分以外のものであることを切に望みはじめたのではなかろうか。』・・・やがて『仮面の告白』で語りだされる・・」 最初の長編『盗賊』23歳の時。
・「『岬にとの物語』・野口武彦の評をかりていえば、『三島文学の根底にある形而上学の原型』であり、『死』-『夏』-『海』が、以後の三島作品をつらぬく『主導的な和声構造』となるだろう」
・東大法学部在籍、いいだももが一番、三島が二番で卒業・・ 無軌道な戦後青年の犯罪の典型・山崎晃嗣の『光クラブ事件』を題材にした『青の時代』を発表25歳。 山崎遺書の末尾『貸借法すべて清算借り自殺』
・昭和22年12月、大蔵省銀行局国民貯蓄課に勤務、9か月後依願退職
・『仮面の告白』=『自分で自分の生体解剖をしようという試み』 『この本を書くことは私にとって裏返しの自殺だ』つまり、小説をかくことで、三島はむしろ生き延びようとしたわけで゜ある。」・・「青春が死に、文学が誕生する。公威がそれを描くことで若さと訣別しようとした一件とは、どのようなものであったのか」
・「『人は、最初に、三島由紀夫の玻璃のような文体に驚いて見惚れ、やがてその空疎に呆れ、そして最後に、空疎の背後深く隠された悲哀に気づいて胸を衝かれる』三浦雅士が説いている。」
・≪若き花形作家― 『純白の夜』『愛の渇き』から『禁色』 ≫ 『禁色』は評判は良くない?
・「ギリシャ経験は小説家に『潮騒』を書かせ、さらに『金閣寺』をも執筆させた。」
・≪古典主義とロマン主義とのあいだで≫ ・・≪古典古代への憧憬― 『潮騒』執筆の背景≫
・≪吉本隆明の三島観≫―『金閣寺』は、作品としても卓越している。・・ここまで現実の表現と美意識とを調和させたことがない。この卓越した文学理論家の見るところでは、それは『この作品のモチーフに三島の存在を動かす思想的倫理性がかけられているから』なのである」
・『金閣寺』・・「主人公は暗黒のうちに、むしろ『ほしいままに幻を描く』 『・・虚無の予感に慄へてゐた』「かつて三好行雄は精緻な構造を分析したはてに、作家は『金閣寺』を書くことで、自分の金閣寺を焼こうとした」

≪認識と行為の間― 小説家の結婚と『鏡子の家』≫  「小説家にとって切実なモチーフは、・・『自己の存在の不確かさを終生病みつづけた作者そのひとの生』にほかならない」  「『金閣寺』の作者の観念を導いている認識と行為の二元論・・、認識と行為という鞏固な二元論が、三島由紀夫の以後の作品系列のなかで奇妙な失敗作を生み、小説家自身の生そのものの軌跡をも、いたましく歪めてゆく消息である。」
・「けっして到来することのない奇蹟を、みずから引き寄せようとした行為こそが、金閣寺への放火なのであった」(中条省平)
・「作品としては失敗している『鏡子の家』・・三島の成熟のさまが、・みとめられないわけではない。・・」
・佐藤秀明によれば、そしてニューヨークの孤独こそ、そもそも三島由紀夫に結婚を決意させた経験であった
≪ユートピア小説の系譜― 『美しい星』と『午後の曳舟』≫ 三島には、『時代の知的シンボルであり、同時に知的アイドル』であったという面がある。・・その学識、教養にあっても、抜きんでていたところがあった・・」
・「三島のハイデッガー解釈が存外に精確であることがわかる」
・『ユートピア小説は必然に絶望小説たらざるを得ない』(澁澤龍彦)・・・「ロマンを捨ててしまった者にとって、栄光は死と引きかえによってしか手にはいらない。三島はなにかを苦く確認しはじめていた。」
・≪『豊饒の海』、あるいは時間と永遠とのはざま≫
・第1巻 『春の雪』― 貴族の世界を舞台の恋愛小説。「三島が書いてきた恋愛小説の総決算」
・第2巻 『奔馬』― 右翼的青年の行動を描いた
・第3巻 『暁の寺』― 唯識論を突き詰める初老とタイ王室の美女とを描く
・第4巻 『天人五衰』― 認識に憑かれた少年と老人との対立を描く
・仏教の唯識論、「世界解釈の小説」 「輪廻転生の思想」
・「・・輪廻思想はたんに、時間の飛躍をふくんだ一大長編を可能にするための道具であったかにみえるし、唯識論への関心もむしろ小説の構想にともなって成熟していったものであるように思われる。略 文学者にとって問題であったのは、時間のある形式 であって、畢生の大作の主題のひとつも、時間と、時間のすきまに垣間見える永遠のすがた なのであった。」

・1969年10/25国際反戦デーのデモも1500人余りの逮捕者を出している。新左翼運動は、しかし同年中には急激に失速して、70年は遠い夢となった。三島由紀夫と楯の会会員たちは焦燥感を募らせ、一般にはこれが11/25の蹶起につながったといわれている。」☆安田講堂はすでに1/19に陥落している。
・川端康成への7/6投かんの三島の手紙より「時間の一滴一滴が葡萄酒のように尊く感じられ、空間的事物には、ほとんど何の興味もなくなりました。この夏は又、一家揃って下田へまいります。」 三島の最後の夏
・捜査報告書の一節「・・総監、陸将増田兼利に対し、・ロープで縛りあげ、『自衛隊員に話がしたいから全員を隊庭に集合させよ』と申し向けて脅迫し、これを制止しようと入室した〇〇ら8名に対して、三島由紀夫が日本刀を振り回し、・切創を与え、・隊員約1千名を集合せしめた後、三島由紀夫はバルコニーから檄文を撒布し、ならびに、たれ幕を提げたうえ、・『自衛隊は自らの力で憲法を改正せよ』などとアジってから総監室にもどり、・短刀で自らのちからで割腹し、これを会員の森田必勝が・介錯し・・・」
・「覚悟に覚悟を重ねたうえでの、壮絶な自死である。五月にはすでに、同志たちのあいだで蹶起の計画が着々とすすめられていた。ひとは『天人五衰』をめぐって、その文体の痩せ衰え方に驚くべきではなく、確実に訪れる死を目のまえに据えながら、なお最後の作品に取り掛かろうとした作家の勁さ(ツヨサ)に驚嘆すべきかもしれない。」☆そうかなぁー? 「天人五衰」の最後の美文?と、割腹自死とは、結びつき難い。

・筆者・熊野純彦あとがき、より「・・ありふれた文学少年であったじぶんに引導をわたすつもりでお引き受けした。」この本です。2019/11/25の命日にて。

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こんにちは!

【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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プロフィール

高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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