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「村に火をつけ、白痴になれ」―伊藤野枝伝- 栗原康 著 

◎後表紙より、「女性を縛る結婚制度や社会道徳と対決し、貧乏に徹し我がままに生きたアナキスト野枝 『あなたは一国の為政者でも、私よりは弱い」 100年前を疾走した野枝が、現代の閉塞を打ち破る!」
☆≪いつも心に伊藤野枝を≫というモットーを掲げて、アナキストにあこがれる、若き(40代)栗原康の、野枝の伝。
・伊藤野枝―1895~1923年、平塚雷鳥の後の、『青鞜』編集者、現代的自我の精神を50年以上先取り。

・はじめにより、野枝の故郷・福岡の今宿にて、地元のぱぁさまから、「おばぁさんはいくらきけども、『そんなひとは知りません』としゃべろうとしなかった。・が・・こうさけんだという『あの淫乱女!淫乱女!』 ひゃー」
・伝説の野枝の墓石・たたりの石・・、1950年頃「さわると赤になっちゃうよ」・・「野枝のたたりじゃあ!」 近代の偉人のふるさとをたずねたつもりが、・・おそろしい妖怪のはなしでもききにいったような感じ・・」
・野枝の特徴をひとこと「わがまま、学ぶことに、食べることに、恋に、性に、生きることすべてに、わがままであった。」 「大杉は・・自由恋愛の掟です、野枝は速攻それを破って・、大杉ののもとにころがりこんで、・・大杉はそのせいで、別の女性に刺されてしまう。(葉山日影茶屋事件)・・・いやだ、ものたりない、キュウクツだと、ただそれだけの理由で。それがおばぁさんをして、淫乱女といわしめたのである。人間じゃない、気持ち悪いと。」
・1895年1/21、野枝、伊藤亀吉、7人兄弟の長女として生。「亀吉は先祖代々の家業をつぶしてしまったので、かわりに瓦職人になっていた。・・亀吉はあまりはたらかなかった。・野枝はそんなお父さんが大好きで、・・生活はギリギリだ。超貧乏な暮らしをしいられる。それでも亀吉は働かない。かの女の特技は三味線。・・『泳ぐことカッパのごとし』、…野枝はなにごとにつけてもあけっぴろげで、おもったことをおもったようにやってしまう大胆さ、豪快さを持ち合わせていたが、・・べつのいいかたにすれば、わがままである。・・腹がへったら、たらふく食べる。貧乏に徹し、わがままに生きろ。それが伊藤家家訓である。」

・高等小学校卒業後、地元今宿郵便局に就職、・・が、「いろんな本を読んでみたい。いろんな世界にふれてみたい、いろんなことを学んでみたい。でも実家では、田舎では、どうしてもそれができない。ああつまらない。・・」
・「・・三日徹夜して、一日、死んだように寝たらケロッとして、繰り返して」受験勉強をし、トップ合格し、「野枝、15歳、きょうから、わたし東京のひとになる。」 
・1910、4月、上野高等女学校の4年に編入、学校のモットー「自分の学びたいことを自分で探し、自分で身につけましょう」。「好きなことを好きなだけ学ぶことが出来た。・・野枝の読書好きはとまらなくなっていた。」
・翌年4月新任の英語教師・辻潤がやってきて、野枝、がぜんたのしくなる。」
・辻潤・「15歳のときに、夜学で国民英学会英文科に入学、キリスト教徒になり、内村鑑三の本を読み、・私塾で英語をおしえたりしながら、夜学に、・・マジで勤勉家である。・宮崎滔天を読んで革命運動にも関心、・翻訳をしたり、とりわけ、マックス・シュテイルナー『唯一者とその所有』にはまり、その信奉者に、野枝におもいきりの影響を。」 辻の授業は、「知的好奇心にあふれている子には、たまらなかった。」 「そのころ辻はちがう子に恋をしていて、野枝はなんて眼中になかった、・・野枝がぶちきれて、実名をあげて小説にしてしまった。・・」
・卒業まぎわに、豪農との縁談・・アメリカにいけるぞ、で、仮祝言、本を読めなくなるで、いやだいやだと言っても入籍されられる。・・・帰郷して九日後、野枝は婚家を飛び出した。知り合いにかくまってもらう、・・」
・野枝からもらった手紙を平塚雷鳥を書く『・・結婚の苦痛などを訴えたもので、そこには道徳、習俗に対する半ば無意識な反抗心が、息苦しいまでに猛烈に渦巻いていた。』
・「辻が働かないことを知っていての提案である・・・、ようやく離婚することが出来た、ここから野枝は筆一本を武器にして、結婚制度や社会道徳なるものと対決していくことになる。やられたらやりかえせ。」
・「娘にとっての良縁とは、家の繁栄のことであり、相手がカネを持っているかどうか、名家であるかどうかが重要であって、本人の意志とは関係ない。そんなばかみたいなしきたりに従うことが、道徳と言われているのである」
・1912年17歳、青鞜社に入社、翌年、辻の子、長男「一」(マコト)を生む。20歳、『青鞜』の編集・発行人になる。
・『もっと本気で、もっと死ぬ気で、ハチャメチャなことを書いて書いて書きまくれ』 野枝の『青鞜』の新編集方針
・「野枝にいわせれば、そもそも貞操という発想がおかしい。」 
・「野枝はこの矯風会が言っていることはおかしいとかみついている。『賤業婦』と彼女らは呼んでいる。私はそれだけで既に彼女らの傲慢さを、または浅薄さを充分に証拠だてる事ができる。」
・「そんなこんなで、野枝は『青鞜』でいろいろなケンカを繰り返しながら、自らの思想を積み上げていった。」

・貧乏はつらい・「野枝は泣く泣く流二を里子に出す。(21歳)、こうなったらもうなんでもやってやる。「カネがなければもらえばいい、あきらめるな」 野枝は大杉のところにいった・・
・日影茶屋事件・、野枝との同棲を頭にきて、神近市子に大杉刺される。スキャンダルで、大杉の妹・結婚の破綻で自殺。
・野枝の色紙 『吹けよあれよ、風よあらしよ』。不倫上等、淫乱好し。さわぐならさわげ、吠えるならほえろ。犬どもめ、公序良俗の番犬どもめ、二人の気持ちはそんなところだったのだろう。」
・22歳、大杉の子・長女魔子を出産。1919年24歳その後毎年出産
・「労働者側も、自分のことは、自分でやる、・マジでやるんだ、おまえらもっと勉強しろよと。・完全に上から目線なのだが、・労働者にたいしても、容赦なくケツに火をつけようとしているところが、野枝らしくてたまらない。」
・≪無政府は事実だ―非国民、上等!失業、よし!≫「いざとなったら、なんとでもなる。野枝の思想の肝(キモ)は、ここにある。」 野枝の『無政府の事実』より 『いわゆる【文化】の恩沢を充分に受けることのできない地方に、私は、権力も、支配も、命令もない、ただ人々の必要とする相互扶助の精神と、真の自由合意による社会生活を見た』 ☆なんと皮肉、その地方とは、淫乱女と騒いだ、ばあさんの住んでいる、野枝の故郷の事だぞ。

・野枝は地元にまつわる悲惨な話を書いている『白痴の母』、被差別部落の青年、彦七を描いた『火つけ彦七』・・・「資本主義もふくめて、ひとのふるまいにこれが標準だという尺度をもうけて、それ以外を排除する『社会』あるいは『秩序』が問題なのである。もしも田舎の村にも、この『社会』があるのであれば、あらゆる手を尽くしてぶちこわさなければならない。自殺した先生や白痴の母は、自殺という行為を通じて、自分の身は自分で処する、自分のことは自分で決めるという感覚を取りもどそうとしていた。彦七は、この『社会』に火を放つことで、すべてなきものに、ゼロに引き戻そうとしていた。野枝は、こう言わんとしていたのだろう。みならわなくてはいけない。【村に火をつけ、白痴になれ。】 ☆すげぇーこと言う。  
・28歳1923年関東大震災の時、甘粕大尉・憲兵隊に拘束後、大杉栄・伊藤野枝・橘宗一(甥っ子)3人、虐殺される。 甘粕は3年足らずで出てきて満州にわたり、その後、満州国の裏のボスと呼ばれるまでに出世している。
・解説・プレイディみかこ 『村に火をつけ、白痴になれ』を語るとき、人は羨望し、祝福する』

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【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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