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「他者の靴を履く」 ブレディみかこ 著       読書ノート

 ―アナーキック・エンパシーのすすめ―

◎帯より―多様性の時代のカオスを生き抜くための本
・(はじめにより)「『わたしがわたし自身を生きる』アナキズムと、『他者の靴を履く』エンパシーが、・この両者がまるで昔から親友であったかのようにごく自然に出会い、調和して一つに溶け合う、・・思考の旅(となった著作ですとのこと)
・「エンパシーとは何か…自分で誰かの靴を履いてみること。」  日本語訳で『共感』ではズレル。
・英英辞典より エンパシー(empathy)…他者の感情や経験などを理解する能力
 シンパシー(sympathy)…1.誰かをかわいそうだと思う感情 2.ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為 3.同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解 

・「加害者にリベンジしているつもりの人たちは、被害者やその家族に自分自身の想像や怒りを投射し過ぎていると言える。他者の靴を履いているつもりが、自分の靴で他者の領域をずかずか歩いているのだ。」
・「『エンパシーだいじ』論者は、認知的バイアスを外して、考え方を広げろと言う。片や『エンパシーはダメ』論者は、対象のスポットライトを絞らずに外して、視野を広げろと言っている。≪外して広げる≫こと。エンパシーについての考え方のキーワードになりそうだ。」
・≪エンパシーの達人、金子文子≫…「塩からきメザシあぶるよ/女看守のくらしもさして/楽にはあらまじ」(文子の詩)。 家族や学校、民族や国家といった人間が自然に【属している】と感じる枠組みからいっさい外れたところで育ったのである。…鋳型から≪外れる≫ことのできた文子…。自分の靴に頓着しない人は自主自律の人だ・・self-governed。『自由』になれば、『他人の靴を履く』こともできる―福岡伸一。
・「誰かの靴を履くためには自分の靴を脱がなければならないように、人が変るときには古い自分が溶ける必要がある。言葉にはそれを溶かす力がある。・・エンパシーは意図的に他者の立場に立って想像してみる能力であり、能力である以上は訓練で向上させることができる・」

・「感識(エモーショナル・リテラシー)…自分の心の動きや感情を感じ取り、それを認識し、表現する力、感情の読み書き能力、『感情の筋肉』の強さ」(島根あさひ) 『感識』を高めるための教育・演劇的な教育だった・・」
・「人間は他者との言葉を交わすことによって自己認識に至る言語的存在であり、人間の自意識は孤独の中で自然に出来上がるものではなく、他者との関りがそれを作っていくのだと・・」
・「他人を演じることが≪I≫の獲得に繋がるだけでなく、エンパシーという能力を向上させる機能も・」
・「実は人間は利他的になったほうが自分を利する。・・クロポトキンの相互扶助論
・「東京山谷の企業組合『あうん』の発起人、中村光男氏・(言う)なぜ他の支援団体のようにNPOにしなかったのか、に対して『NPOはなかなか経済的自立ができない。・・行政からの委託事業であったり、行政からの補助金を支えにやらざるをえない。・行政に対して声を上げにくい。・胃袋を握られている』
・「揺るぎない鋼鉄の意志があったからと言うより、エンパシーの能力が欠けていたからサッチャーは経済ダーヴィズムを信じ続けることができたのではないだろうか」
・「…エンパシーを磨く方法やそれを指導力として活かす方法(の一つとして)、『勝つのをやめて、聞くことを始めろ』・・『相手の議論を歪めて勝とうとする。でもそれをすると、誰のためにもならない。』」
・「他者との距離を保ちながら自分の靴を脱いで他者の靴を履いてみる。・・ここで重要なことは≪自分を手離さない≫ということ。」
・「・・科学的だったり、エビデンスに基づいてるのだと言って社会常識になっていることが多い。が『野蛮の言説・』で中村隆之は『その社会常識は、別の社会や別の時代には通用しない部分が必ず出てきます』と書く。・・坂口安吾風に言えば人間は可憐で脆弱なものなので、排除にしろ、差別にしろ、拠って立つ正当な根拠を欲しがるものなのだろう。」
・「サイコパス、ソシオパスといった反社会的人格の対極・エンパス―エモーショナル・エンパシーが過剰な人」
・「災害時には、利他的になりたい人の数が急増し、利他主義者になりたいという人々の要求が切羽詰まったものになるとソルニットは言う。自分の生活や生命が脅かされる経験の中では、生きる目的が必要であり、」
・「民主主義は、違うグループ同士が・どっちが正しいかを決める劣肉優食制度でもない。多様な思想や宗教や生活習慣を持つ人々が出会う雑多な場所で、全ての人々がうまく一緒に生きていくために実践してきた民主主義が二派に分かれて単にぶっ叩き合うことであるわけがない。それは違いが存在すること、相反する信条すら抱いていることを確認しながら、どこまで譲り合えるかを探り合い、擦り合わせる≪あいだ≫の空間での地道な会話の連続なのだ。」
・「渡辺一夫は、不寛容に報いるために不寛容を以てなすことは、『寛容の自殺』だと書いた。」
・「『迷惑を掛けない』という概念も遮断的であるゆえにエンパシーの機能をブロックするものだ。他者の靴を履けるひとは、他者にも自分の靴を履かせる人でなくてはならないからだ。このような相互の関係性を成り立たせない概念や道徳は、実は人間本来の欲望に反している・・。・・煩わせ合い、ハッピイーになりたい欲望のままに他者と繋がる。これはアナキズムの相互扶助の精神にもっとも近いものだ。」
・「ルッキズムとは、速くてわかりやすいシンパシー・ベースだから全体主義と相性がよく、政治利用されやすい。他方で時間がかかり、知的努力を要するエンパシーは個人的な想像力だから束ねることは困難だ。」
・デヴィッド・グレーバーは主張「人間は互いをケアすることで生き延びてきた。それが私たちの本性だとすれば、他者をケアすることは人間に帰ることだ。ブルシット(まやかし)からエンパシー(ケア)へ。それは人間を人間化することであり、経済も社会もその周辺に構築されなくてはならない。」

・「…倫理的な効用というよりも、個人の視野に広がりと深みを持たせるためにエンパシー教育が役立つ・・」
・「自分の気持ちや考えを理解するということは意外と難しい。…他者を演ずることによって自分の感情も理解できるようになるという演劇教育のコンセプトにも繋がる。」
・「今とは違うオルタナティブな世界はあるのだと信じられるからこそ、どれだけ状況が過酷であろうと、そこから脱することは可能だと思えるのだ。」金子文子の確信・エンパシーの能力か。
・「自分の視野を広めるために働かすエンパシーは、他者への思いやりにも繋がる。」
・「エマ・ゴールドマン・彼女はシュテイルナーの個人主義とクロポトキンの相互扶助を接合させ、両立させようとした。・・アナキズムこそが個人と社会を和解させられる調停者なのだとエマは信じていた。」
・『多様性の時代の落とし穴』―例えばレイシストの考えを尊重するのは、間違っている。ということ。これに対して、「むしろ私たちは多様性というカオス(混沌)を恐れず、自分の靴を履いてその中を歩いて行けと彼・グレーバーは、言っているのだ。ときに自分の靴を脱いで他者の靴を履くことで自分の無知に気づき、これまで知らなかった視点を獲得しながら、足元にブランケットを広げて他者と話し合い、そのときそのときで困難な状況に折り合いをつけながら進む。・『理解できないことがあっても、どのみちそれを考慮に入れなくてはいけない、ということを受け入れること』・ならばそれは、多様性の時代の落とし穴ではないだろう。むしろそれは、すでに目の前に広がっているカオスから目を背けず、前に進むための叡智であり、覚悟のようにわたしには聞こえる。」(ラスト)
☆「困難な状況に折り合いをつけながら進む」というのは、妥協じゃないのかな? わからないものに蓋をして進めともとれますよね。エンパシーとは、曖昧なものでファジーなもので、困難さをすり抜ける便法か?そういう一面もあるが、・・・
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【山好き、旅好きの団塊世代日記】 当ブログは2007/1/29に運営開始いたしました!





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プロフィール

高田 学

Author:高田 学
少年時代は海と戯れ鎌倉育ち、故郷を離れ北海道で学業。その後東京にて工務店経営。
環境(省エネ)には特に詳しい。廃業後自由人。

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