桜の花は終わり、ハナミズキが咲き始めました。
『人間回復の経済学』 岩波新書 2002年を読んでみた。痛烈無比の新自由主義経済批判、は舌鋒厳しく、私にとっては痛快であり、この人が政府の要人になったのなら、
竹中平蔵さんは植草一秀さんみたいに、痴漢にされちゃうのかなと心配(?痛快?)になってしまいますが、・・ 以下抜粋
「本書は・・構造改革の背後理念となっている主流派経済学に異議を唱えている。正確に表現すれば、精緻に組み立てられた主流派経済学の理論的前提と現実との相違を無視して、それを現実に無批判に適用しようとする俗流経済学に異議を申し立てているのである。・・・あくまで本書は動物国家でなく人間国家をそして人間経済を提唱した、財政社会学の始祖ゴルトシャイトの思想を継承している。」 「・・新古典派経済学は、利己心と共感というバランスの上に築かれたアダム・スミスの学問体系から、共感という側面を削ぎ落としたものといえる。」
「失政糊塗の論理でいじめ社会をめざす構造改革が、より激烈に断行されていく。人に情けをかけてはならない。倒産や失業で苦しむ人は、知恵もなく努力もしなかった者で、情をかければモラルハザードがはたらき、甘えるだけである。そう教え諭される。私利私欲追求する経済人として行動しなければ、神の見えざる手によって敗者の烙印がおされてしまう。人々は涙をこらえ、自己の心情に反した非情な行為に走っていく。自分で非人間的な行為だと思っていても、経済人として行動しなければ、社会からいじめを受け、社会から排除されてしまうと恐れるからである。」「・・市場の意志に反して、終身雇用を維持しようとするならば、市場は決してそれを許さないであろう。その企業の株価を下落させ、必ず倒産に追い込んでみせる。企業の経済は、人間としての経営者の信念にもとづいてはならない。市場が企業の経営を支配するのだ、と神のお告げを告げる神子だという顔をした俗流経済学者はわめきちらす。」 「・・その構造改革は、人間の能力をより高めるような職務よりも、より人間的能力を必要としない職務を増加させ、人間がより人間的でない生活に耐えることによって、企業のコストを低めていく改革だからである。」
「テーラー主義による生産性の向上は、大量生産・大量消費によって、貧困からの解放を可能にした、・・・財政にも豊かな税収をもたらすことになる。・・・ケインズ的福祉国家は、飢餓的貧困の解消という夢の実現に成功したがゆえに、行きづまりをしめしはじめた。」
「・・・情報技術を活用して、飛躍的に労働を単純化し、人間を人間の手段としての機械におきかえていく現象が激化する。中間管理職の管理労働をも、単純労働と機械装置に置き換える現象がすすめられていく。 そのため、企業組織から、労働の主体である人間が急速に排除されていく。しかも、企業組織からより多くの人間を追放した経営者こそ、優秀な経営者だと格付けされていく。」
「ケインズ的福祉国家で・・おこなう・・そうした現金給付を廃止したり、縮小すれば、人間は飢餓という貧困への恐怖におびえ、単調な非人間的労働にも耐えるようになる。それが新自由主義の政策思想である。失業率を高めれば、賃金を抑制することができ、コストも低めることができる。失業すると救済されないとわかれば、低賃金を甘んじて受け入れなければならない。」 「人間をより非人間的に使用しようとする新自由主義は、歴史を逆流させようとする政策思想といわざるをえない。」 「人間性を喪失した未来を構想する構造改革が推進されていく責任は、経済学にある・・・構造改革の失敗は経済学の失敗といえる。より正確に表現すれば、経済学の現実への適用の失敗なのである。」「二言めには『マーケットに逆らうな、』『マーケットが評価する』『マーケットの決定にゆだねよ』と唱える。しかしマーケットとはいったい何なのか。人間が決定するものではないのか。」
「しかし、人間は経済人ではない。人間は知恵のある人であることを忘れてはならない。人間の未来を神の見えざる手にゆだねるのではなく、知恵のある人としての人間が、人間のめざす未来を創造しなければならない。・・・人間が協力して知恵をしぼれば、未来を人間が創造できるはずである。」
崩れ始めている、鳩山政権に入った神野教授はどこまで、新自由主義(構造改革)脱却ができるか楽しみにし、期待するところです。
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